「ことばと文化」鈴木孝夫(1973)を読んだ

ことばと文化 (1973)

 私の持っている版は1981年の第14刷。岩波新書のベストセラーの「ことばと文化」鈴木孝夫(1973)を読んだ。

 「ことばの構造、文化の構造」のところでは、英単語 break を用いての「ことばの構造性と辞典の記述」の 説明がわかりやすい。つまり、日本語と英語とでは、一語一義的に対応しないのである。

「ことばと文化」鈴木孝夫 (p.9)

 第一に、どの単語でも、そのことばを含む言語の中で、他のことば、殊にそれと近縁類似のことばと密接な相互対立関係に立っている。そこでこの関係を構造的に把握しなければならないということ。

 第二に、たとえ或る外国語の単語の使用法が、自国語の特定のことばのそれと、ある場合に合致するからといって、自国語のその単語の、他の使い方まで、これがあてはまると思ってはならないということである。(p.9)

 著者は、つづけて「「のむ」と drink の構造の比較」をおこなっている。日本語の「のむ」は、液体・固体・気体と、「対象の様態については、ひどく制限がゆるい」のに、英語の drink は、「対象が液体の場合にだけ用いられることば」ということがわかる。しかし、「液体」というだけでは十分ではない。液体薬は take というし、有毒なものは、swallow を使う。タバコなら smokeだ。詳細は省くが、それぞれの言語体系におけるそれぞれの構造的認識が必要ということだ*1

 異文化をみずからの文化的文脈で理解してしまう危険性について、"It never rains but it pours."と "A rolling stone gathers not moss."とを例にあげての説明もおもしろい。

 また、日本語の「湯」と「水」の話。

 また、「lip と「くちびる」」の話。

 英語には、「髭の生えたくちびる」とか、「短い唇」という表現があるとして、「英語の lip は、赤いところだけでなく、口の周囲のかなりの部分をも指すことができることばだという」。「ことに upper lip (上唇)とは、殆んど日本語の「鼻の下」に当る部分を言うことが多いようだ」と、lipと日本語の「くちびる」が違うことを発見したとして次のように述べている。

 私は英語を学び出してから、もう三十年以上になる。米国やカナダにも何年か滞在したこともある。それなのに英語のlipが、このように日本語の「くちびる」とは違っていることに気付いたのは、なんと二、三年前のことでしかない。勿論こんなことは、どの辞典にも書いてないし、また私の直接たずねた範囲では、英語、英文学の専門家で、このことをはっきり知っていた人は一人もいなかった。(p.43)

 異文化・異言語である外国語。たとえば英語の語彙の「認識」の形成とは、さまざまな言語体験を積んで、その結果として、結局は長年の言語経験を経て、たとえば木材に、ひとつひとつ鉈やノミを入れて行って、彫像を形作るような経験なのだと思う。当然、経験が少なかったり、技量がなければ、ざっくりとした彫像にしかならない。長年の経験と研ぎ澄まされた技量こそが、語彙認識を正確なものにしていく。それしかないのだと思う。

 本書「ことばと文化」では、他にもいろいろ面白い話があるけれど、今日のところはこの辺で。

 

*1:完全に同じことを言っているわけではないけれど、この点では、日英の辞典よりも、いわゆる英英辞典を使うほうが、この手の問題は避けられる部分が大きくなるといえるだろう。