映画 ”The Deer Hunter”

 「ディアハンター」をめぐり、ディベートをして、何故負けもしないが勝ちもしないのか。
 実際この国は、ベトナムに行き、血なまぐさい戦いをした国であり、もし戦う理由を問わず、戦う意味があると妄信しているならば、その生死の境をくぐってきた異常な体験に酔い、問題の所在も見えぬまま、感情的にアジア人を見ること、つまりracismが可能だからだ。
 映画の中のアジア人(中国人)の役割は本当にひどいものだ。ラッシャンギャンブル。ピストルに1発、実弾を込め、自分の頭にピストルを当て、1/6の可能性を賭博に使う。映画俳優ロバート・デニーロなどのアメリカ人を、モルモットに使い、商売しているのがアジア人というわけだ。俺はベトナム戦争については少しは勉強したことがあるので、バカバカしいと見る。ベトナム戦争についての知的枠組みがあるからだ。しかし、アメリカ人はどう見るのか。多くのアメリカ人はそうは見ないだろう。より客観的な知的枠組みがなく、主流のイデオロギーに染まっているからだ。実際は俺もアメリカ人が何を考えているのか、正確にはわからない。少なくとも俺と違う見方をしているだろうということだ。実際、映画上映終了後、2、3名の観客による拍手が起こった。観客に話しかけ問題提起したい気持ちになる。
 異文化コミュニケーションの必要性を痛感する。ディベートしなければわからないことは少なくない。沈黙は金ではない。ディベーターになれば、この悩みから抜け出ることができるのかもしれないが、沈黙は金ではないというのは疲れる。