そろそろ英米中心の時代はやめにしませんか

 アメリカ大統領選が間近だが、これは私の個人的な見解だが、いまアメリカ合州国に盲従するのは政治判断として危険である。「アメリカに見方する奴は俺の敵」となる可能性が強いからだ。また、いまアメリカは世界の主流とも言えない。もちろん世界の大親分だから影響力が最大であることは認めざるをえないが、アメリカが世界から信頼され仲間が多いかといえば、そうでもない。それどころか、アメリカは結構嫌われてもいるから、アメリカ合州国に無批判的に味方をするのは、ますます危険だ。
 総括的にみれば、20世紀は、結局、アングロサクソン英米の二大親分が世界を牛耳った時代だと言える。
 とりわけイングランドは、それまで歴史的な蓄積として大英連邦を築きあげ、一大英語圏をつくりあげてきた。アメリカ合州国は、知っての通り、たったの13の植民地から独立宣言を高く掲げて大英帝国から独立したわけだから、結局英米は親子関係と言えるのかもしれない。
 そのアメリカ合州国は、西へ西へと、「開拓」し、名うてのインディアンファイターたちが、大統領になった。だから、アメリカ合州国では、アメリカがネイティブアメリカンを。ハワイ諸島では、ポリネシア系住民たちを。そして、オセアニアは、イギリスが主導権を握ったわけだが、オーストラリアではアボリジニニュージーランドではマオリをと、先住民族を駆逐し、いわゆる巨大英語圏を広げていったわけである。
 だから、世界を見渡すと、このイギリスとアメリカ合州国の影響力たるや、ものすごいものがある。
 アジアでは、日本がこの真似をしてアジア侵略をし、1945年、結局世界から批判され叩かれたわけだが、イラク戦争を見るにつけ、やはり20世紀は、結局わがままな英米の時代だったと痛感するのである。
 と同時に、英米に対する批判的な眼も大きく養われてきている時代であることも確かだ。
 アフリカをはじめ、ありとあらゆる植民地が独立を叫び、独立し、第三世界の影響力がかつてなく高まったのも20世紀に起こったことだ。
 ベトナムは、日本やフランス、そして世界最大のアメリカ合州国侵略戦争にも屈せず、1975年に独立をかち取った。アメリカ合州国の植民地だったアジアのフィリピンだって、独立後、軍事基地や空港をアメリカから返還させている。
 大英連邦の内部ですら、ニュージーランドやオーストラリアは、まだまだイギリスの殻がついているけれど、とうに独立国家だ。
 1947年にニュージーランドは独立し、1987年には非核法も成立させ、核の持ち込みを禁ずるために、アメリカ合州国・オーストラリアと結んでいた安全保障条約からも抜け出して、アメリカ合州国ともオーストラリアとも違った独自路線を歩んでいる。
 こうした中で、日本がどのような進路を取るべきなのか問われているのだと思う。日本は先進国と言われながら、基地の大半を沖縄に押しつけ、大都市・東京や神奈川県にも軍事基地がある。いまだに都市に米軍の基地を抱えるこうした「先進国」は、先進国の中でも少ないのではないか。
 今回の件でいえば、日本の平和憲法からすれば、そもそも自衛隊派兵は憲法に抵触するのではないだろうか。紛争解決の方法論といった場合、武力で制覇したとしても、制覇された側は、力関係として武力に対して従っているだけの話で、力関係が変われば、暴力が暴力を生むという暴力の連鎖になりかねないし、憎しみが憎しみを生むという悪循環になりかねない。いや大体そうなるのが常だ。
 また、今回の自衛隊の派兵にしたって、安全な場所で復興支援をおこなうと言っていたのではなかったのか。安全が確認されずに危険な状態ならば、撤退するはずではなかったのか。自衛隊派遣と駐留の期限が切れようとしている今、勇気ある撤退という選択肢はありえないのだろうか。
 国際貢献といった場合、軍隊の派遣ではなしに、いろいろな方法があるはずだ。ボランティアの活動が大きな貢献をしてきたとも聞くし、志のあるボランティアが自衛隊派兵によって仕事がやりづらくなったとも聞く。そして今や全員に対する避難勧告の状態に陥っている。
 日本が世界から求められているのは、平和的な貢献の道筋だったのではないか。
 イラクの戦死者数からしたら比べる由もないが、アメリカ合州国でも多くの若者が命を落としている。「劣化」ウラン弾の影響は、攻撃側のアメリカ兵士にもあらわれているとも聞いた。ベトナム戦争のときもそうだったが、戦死者は棺におさめられ、アメリカの国旗に包まれてアメリカ合州国に遺体が帰還するのである。
 核時代(Nuclear Age)といわれる現代にあっては、勝者も敗者もない。
 勝者や敗者があると思えるのは、古典的な戦争観念だ。核時代にあっては、人類だけでなく、生物全般に対する万物絶滅(オムニサイド、Omnicide)の危機である。権力者といえども、そんなことをする権利は何人にも与えられていない。
 第二次世界大戦後、日本は平和憲法のおかげで、国民が召集されることもなく、とりわけ若者の命が守られてきた。言うまでもなく、政府の、そして政治の重要な任務は、国民の生命と財産を守ることにある。生存権を保障するために政府が組織されるのであって、その逆ではない。政府を守るために国民が命を落とすとなれば、それほど本末転倒な議論はない。これはアメリカ合州国の建国の精神・独立宣言で高らかにうたわれている思想に他ならない。
 平和憲法を投げ捨て、無批判的に他国に盲従する道こそ、国民の命と財産を危険にさらす道筋である。そして、その危険な道は、残念ながらわれわれの前に徐々に拡大しつつあるようだ。