願い事の木を見に行くアクティビティに参加する

 着いて早々だが、早速、2時からのWishing Treeを見に行く森林浴のアクティビティの予約を入れる。Wishing Treeとは、「願い事の木」とか「祈りの木」ほどの意味だろう。12時30分から2時までが昼飯らしいが、時計を見ると、1時20分だ。あわてて、昼飯を済ませるべく、ダイニングに向かう。昼飯は、勝手にあれやこれや選ぶシステムだが、オライリーの飯はなかなかよさそうだ。デザートもフンダンにある。見ると、年配のカップルが目立つ。大自然の中でも、たいへん便利で飯もうまい!これはこちらの国立公園のやり方で、これまで行ったグランドキャニオンも、タスマニアクレイドルマウンテン国立公園も、いずれも大自然の中なのに、とても便利で、飯がうまかった。年配者が主流なのは、お値段が少し高めのせいだが、満足度からいったら徳と思えてきたのが、これまでの経験である。ダイニングルームからガラス越しに、野鳥に餌をあげるえさ台が何枚か見える。さぁ、飯も食ったし、いよいよ森林浴に出かけることにしよう。
 ウォーキングアクティビティに参加するために玄関前に集合。まさにアイリッシュらしく、玄関脇には家計図が飾ってある。一世代目の子どもは、10人!まさに、カトリック系のアイリッシュらしい。
 ガイド役の説明を聞きながら、蟻の行列状態で、小道を歩く。レインフォレストの植物群落は、まことに複雑。ダイビングで潜ったときの海の生態系も神秘的な魅力があるけれど、丘の上の生態系も、それに勝るとも劣らない。これは、まさに宮崎駿的世界である。緑一面の中に、きわめて複雑な色合いがある。一本の木に対して他の木が覆いかぶさって、もともとの木がくさって、のっとられるとか、大きな木に依存して、ちゃっかりそこから栄養分をもらっている奴とか、きわめて複雑怪奇!私は、生物は詳しくないが、それでも、コケ類、シダ類を見るだけで、参ってしまう性格で、昼なお暗い原生林などという世界は、あこがれ中のあこがれで、アイルランドのダンロー渓谷なんかは、レインフォレストとは少し違うけれど魅力的だった。これまで訪ねたヨセミテ渓谷も、マウンテンクレイドルも、グランドキャニオンもよかったし、いつの間にか、渓谷、断崖絶壁、洞穴、渓流、こういうものが好きになってきていた。
 集団の中を私は最後尾をついていく。ガイド役の方が、浪々と響くいい声で説明してくれる。まさに、フィールドが豊かな、こちらのガイドの方は幸せだ。彼は学校の先生ではないが、まさに生物の先生をしている。彼もオライリー一家の人間なのだろうか。
 悲しいことに、レインフォレストを歩いていると、日本にはフィールドが少ないっていうことに気づかされた。オライリーゲストハウスには七面鳥がたくさん闊歩しているし、素晴らしい熱帯雨林がある。ニュージーランドも、あちこちにカモがいて、旅行の後半ではカモなんかめずらしくなくなっていた。日本の都会のワイルドライフが最近のカラスの増殖なんて話は悲しすぎるではないか。英語の世界なんてのも日本にないから、英語教育という私のフィールドも実に遠かった。フィールドに恵まれない日本の先生は可哀想である。今日の日本の教育がうまくいかない理由の一つに、この本格的なフィールド不足という問題があるように思う。要するに擬似的であったり、偽物であったりするわけで、そんな学習対象を真剣に学ぶようになるわけがない。
 最後尾を歩いていると、前のガイド役の説明が、伝言ゲームのように伝わってくる。今度はどんな情報かなと思っていると、何やら、白っぽい、ややクリームイェローがかった小さな実がまわってくる。形は、トマトのようだが、果実は、小指の爪ほどの大きさで、食べられるという。口に含んでみると、すっぱい味!ちょいと苦いけれど、レモンですね、これは。名前を聞くと、その名の通り、レモンアスペン(Lemon Aspen)というものだそうだ。動植物に全く無知な私は、これだけでオライリーに来て良かったなと思ってしまう。ただ、植物や小鳥の名前は、なじみが無いせいで、なかなか覚えにくい。参加しているおばさんたちは、ガイドの紹介のたびに、反芻しながら頭に記憶させようとしているが、私は途中であきらめた。
 「願い事の木」に到着すると、これが、ばかでかい木で、根っこのところは、すでに空洞になっている。穴などもあちこちにあるので、窓のようだ。まさに、子どもが喜びそうな自然の隠れ家である。
 この木を通る際に願い事を心の中で言うと、かなうらしいので、私も願い事をしながらくぐってみた。Wishing Treeという名前そのものなのだが、何の願いごとをしたか言ってしまうと願いごとがかなわないらしい。私の願い事の紹介も控えておこう。
 森林浴中に、キノコにもたくさん出会ったが、山中のキノコは毒性のものもかなり多いらしく、キノコを食して昨年ブリズベンで亡くなった方もいたらしい。いずれにしても、森の中の植物に詳しいなんてのは、人間的でいい。森の生活にあこがれている私はそう感じた。