娘を見送ったあと、自分が乗る飛行機の時間まで待つ。私の便は、11時20分にダニーデンを出て、12時30分にウエリントンに着く。
余裕があればウエリントンにも寄りたいと思っていた。それは、ビクトリア大学がウエリントンにあるからである。また、評判の高い博物館(テ・パパ)が首都ウエリントンにあるからである。しかし、今回の旅ではそこまでまわる余裕はなさそうだ。今回ウエリントンに寄るのは、ダニーデンからネルソンへの直行便がないという単純な理由に過ぎない。
ウエリントンへの飛行機で偶然隣に座った女性は、オタゴ大学の経営学の学生で、なんと昨日学業を修了したとのことであった。まさに卒業したてのほやほやである。オタゴ大学の学生のファッションの感覚はなかなか良いのではないかと娘と話し合っていたのだが、私たちのそうした評価を彼女も裏切っていなかった。
1時間とちょっとでウエリントンに到着してからは、空港の待合室で30分ほど待たないといけない。ネルソン行きの飛行機に乗り込んでみると、プロペラ機であった。これならダニーデンからネルソンへの直行便がないのもうなずける。ネルソン行きのお客さんがジェット機で飛ぶほどいないのだろう。ニュージーランドの各地を飛んでいるAir New Zealandは、印象としてはバスのイメージが強い。鉄道が発達していない分、庶民の足という感じなのである。
今回の旅は、先に書いたように大学訪問が主の目的であるが、自然を楽しむ旅も入れてある。それが、ニュージーランドではエイブルタズマン国立公園訪問と、オーストラリアではブリズベン近くのラミントン国立公園訪問である。ハイキングのことをニュージーランドでは、トランピングといい、オーストラリアではブッシュウォーキングという。これにならえば、エイブルタズマンでのアクティビティは、シーカヤックとトランピング。ラミントンでのアクティビティは、熱帯雨林でのブッシュウォーキングと野鳥観察になる。私は東京の下町生まれなので奥多摩の散策などは好きだったが、それでも自然のフィールドはいつも遠かった。いわゆる自然派にはなりようにもなれなかったのだが、海外旅行をする度に自然に惹かれていくようになった。海外の行く先々にそうした自然のフィールドが多かったせいもあるが、東京に生まれ育った私の、自然に対する飢えや渇きに原因があったのではないか。
これまで訪問したところで自然が豊かな所といえば、アメリカ合州国ならグランドキャニオンとデスバレー。ここは2回訪問した。それに、ヨセミテ国立公園。大西部のメサベルデやタオスプエブロ、フォーコーナーズがある。また、魚影の濃かったハワイ島のコナ。それがアイルランドなら、ディングル半島やダンロー渓谷、そしてモハーの断崖。オーストラリアなら、タスマニアのクレイドルマウンテン国立公園。これらは自然が豊かな場所にもかかわらず都会的にも便利に過ごせるということが、私をしてもっと自然を楽しみたいと思わせてきたのだろう。偏見もあるが、日本では本格的な山男でないと自然が楽しめない。そんな風に思ってきた私だが、これまで私が海外で訪問してきたところは広範囲な人たちが気軽に自然を楽しんでいた。たとえ年齢が高くても、あるいは身体が弱くても、それでも、大自然を楽しめるのであった。
さて、エイブルタズマン国立公園のゲートウェイの町としては、まずはネルソンである。ネルソン周辺はニュージーランドでは日光の照射時間が一番長いと言われている。Sunny Nelson(陽のあたるネルソン)というあだ名があるほどだ。自動車周遊旅行でニュージーランドをまわって一番印象がよかったのでネルソンに住みついたという日本人旅行記をインターネットで読んだことがある。エイブルタズマン国立公園に近く、果物も豊富となれば、ネルソンに対する私の期待は否が応でも高まってくる。
ところで、このプロペラ機の乗客は、シーカヤック派や自然派という風ではなく、特にひときわ目立つ一団はリゾート地にバンド演奏に来たアメリカ人ミュージシャンという感じだ。ウエリントンからネルソンは距離的にそんなに遠くないから、おそらく自然派は車で移動しているのかもしれない。マルボロ諸島を眼下に見ながら、ウエリントンからネルソンへは、30分とちょっとで着いた。
ネルソン空港からタクシーでインフォメーションセンターへつけてもらう。運転手は女性ドライバーで、ネルソンの街についていろいろと聞く。クレジットカードで支払いを済ませる。19ドルで、1330円だった。
インフォメーションセンターで相談して、今日の宿をRiverside Homestayに決める。ホームスティというのは初めての経験だが、まぁB&Bのようなものだ。私の泊まる部屋は今日からシングルの部屋でいいわけだが、インフォメーションセンターの女性が宿との交渉をしながら言われた値段に私が同意すると、彼女は同僚に向かって「リバーサイドのホームスティ、ダブルなら40ドル、シングルなら55ドルですって。ねぇ、シングルの方が高いわけ?シングルの方が高いって、知ってた?」などと雑談している。
確かにシングルで泊まる奴なんて少ないのだろう。なんといってもこちらはカップルが基本である。一人40ドルなら、ダブルで80ドル取れる。けれどもシングルなら40ドルしか取れない。それでも部屋がふさがってしまうのは同じだ。宿主ならダブルを使用する客を希望するのは当然だ。その意味ではシングルの方が割高というのは仕方のないところなのだろう。部屋単位で考えるなら、人数が多い方が割安というのは大体こちらの常識だ。シングルで旅するというのは、だから割高なのである。その割高の一人旅が今日から始まる。55ドルで朝食つきだから、割高でも、3850円ほどか。日本に比べれば悪くない値段といえるのかもしれない。明日は、モトゥエカ(Motueka)というまさにエイブルタズマン国立公園の玄関口の町に行くので、モトゥエカでの宿と、ネルソンからモトゥエカまでのバスも予約を入れておく。こちらではなんでも予約しないといけない。
ホームスティの宿が荷物と私のピックアップをしてくれると言ってくれていたが、それほどの距離ではないと聞いたので断った。歩いた方が、土地勘がわかるからだ。インフォメーションセンターを出て、地図を見る。まず、どちらに向かって歩いていくのか、確認をしないといけない。方角を確認してから、荷物をコロコロころがしながら宿を探す。リバーサイドという名の通り、川の近くに住居が建ち並んでいる。地図にはプールの近くとあり、目印のプールはすぐ見つかったが、宿がどこにあるのかわからない。どうやら看板がないらしい。ホームスティというからには普通の家なのだろう。看板がないのは困るなぁと思っていたら、初老の男性が誰かを探している様子。どうやらこの方の家に今晩私はお世話になるようだ。
男性の名前はビル(仮名)といった。宿まで荷物をころがしながら話をする。ビルは私が英語を喋るのでかなり安心したらしいけれど、私の名前のAmamu*1は覚えにくいようだった。私は長年英語とつきあってきたので、初対面の相手の名前を一発で記憶に留めることがいかに重要なのかわかっているつもりだ。名前から相手のエスニシティや素性がわかるので、ヨーロッパ系の名前の語源の本などを買って読んだりもしている。けれども、そうした英語名に対する私の高い関心と、それでは実際に一回で覚えられるかどうかという問題は全く別の話である。もちろん、ビルは易しい名前であり、いくらなんでも問題はない。
大体、私の名前のAmamuだが、どこのインフォメーションセンターに行っても、なんだそりゃ、本当に名前なのかというくらい、発音も綴りもむずかしいようだ。一応最初は聞き返すが、先方はすぐにあきらめムードになる。これは、そんな名前、生まれてこのかた聞いたことがないというような理由によるものなのだろう。聞いたことがないから、無意味で、ひっかかりもとっかかりもない。だから覚えられない。
例えば、インフォメーションセンターで、相手が私の名前を書きとめたいとする。相手が私の苗字を欲しているのか、下の名前を欲しているのか確認し、苗字なら、私の家族名が先方からすると全く意味がないのはわかっているが、名前と綴りを丁寧に言っても、先方は間違えて書いたり、字を抜かして書いたりする。これは私の発音が悪いということもあるかもしれないが、それよりもむしろ「そんな名前、生まれてこのかた聞いたことねぇぞ。一体全体、そりゃ名前なのか」という反応に近いだろう。だから、どう綴るかとなれば、相手の常識の範囲に入ってこないので、要するに相手は、単なる私の口述筆記係になってしまうのだ。そんなことは誰だって嫌だろう。それで、すぐ諦めに変わるというわけである。つけ加えるならば、この諦め方によって、異文化に対する偏見の程度や、異文化に対する寛容度や度量の広さが分かるような気がするのである。正確な名前の尊重は、人権尊重に直結している。覚えにくいからといって、いい加減なところで諦めるようではいけない。たかが名前、されど名前なのである。
宿についてから、この夫婦と話をしてみると、そもそもはイングランドから来たということだった。奥さんの名前はジェーン(仮名)。彼女の名前も簡単だ。一通りの挨拶をかわしてから荷物を持って部屋に行く。私が使う部屋には木製のノブはついているが、鍵はかからない。荷物を出して整理していると、ジェーンが水撒きをし始めたのが眼に入ってきた。部屋の窓からよく見えるのである。これは悪口ととってもらっては困るのだが、彼女は私の様子をうかがっているのかもしれない。ホームスティといっても、どこの誰だかわからない奴を自宅に泊めるのである。どんな奴かチェックをしたくなっても当然ではないかと思ったのだ。単なる私の考え過ぎかもしれないが、ふとそんな気がした。