ネルソンを少し散歩する

 リバーサイドという名前の通り、家の前にマイタイ川という川があり、バンジョーを弾いている男がいる。近寄って話をすると、彼の名前はピーター(仮名)と言った。近くのプールに子どもを連れてきていて、子どもがプールから出て来るまでここでバンジョーを弾いているのが好きだという。子どもが小さいときは私も同じようなことをした経験があるので、親近感がわいてくる。サニーネルソンは、日差しが強い。彼の足は七分ズボンで、少し露出させているのに、帽子はきちんとかぶっている。「ここは静かでいいね」と私が言いながら自己紹介すると、「テレビでしか東京は見たことないが、ストレス社会で自分はとても住めない」と彼は言った。ネルソンに住んでいたら確かにそうだと思う。
 イギリス本国ではピューリタンカトリックの間に宗教差別や反目があるが、移民の歴史をもつここニュージーランドではどうなのかと聞くと、歴史的にはそうした対立を直接持ち込まなかったのではないかと彼は言う。マオリ、パケハ(白人)の話では、ワイタンギ条約をどう解釈すべきなのか論争が続いていると聞いていたので、私は日本のアイヌの話をした。征服された被抑圧民族という問題はありながら、先住民族としてのマオリの方が、アイヌよりも差別的でない扱いをされているのではないかと思っていたからである。けれども、それは日本の扱い方がひど過ぎるだけの話で、マオリとパケハの問題は、それほど簡単ではないようだ。いろいろと意見交換をしたあとで、「ところで白人の、日本人に対する蔑視はあるか」と訊ねると、彼はGood Question(「いい質問だ」)と言った。Good Questionというのは、考えたことがない質問に対し時間稼ぎの目的で言うことが多いが、確かにそうなのだろう。表向きには差別感情は出せないし、実際に住んだら友達がたくさんできると思うが、深層心理では差別意識が存在するかもしれないと彼は本音を言った。
 ネルソンの周辺地域は、「陽のあたるネルソン」といって、日照時間が長いし、暖かく過ごしやすいということで、私にはカリフォルニアのようなイメージがあった。実際、タカカ(Takaka)という小さな町は、ヒッピー世代のウッドストックチルドレンが住み込んだとガイドブックに書いてあった。彼は生まれも育ちもここネルソンで、父親は狩猟をしていたらしく、鹿や野ブタを撃っていたという。熊や鹿の頭の剥製を居間に飾るとか、動物の毛皮を着るというのは、生活のためにおこなうというならまだしも、贅沢な消費文化としてはあまり趣味のいいものじゃないと常々私は思ってきた。そんな話をすると、「自分は(猟は)やらないけれどね」と彼は答えた。簡単なニュージーランド史という感じの話が続いたところで、彼の子どもがプールから帰ってきた。一緒に写真を撮らないかと申し出ると、男の子は恥ずかしがって写ろうとしない。挨拶をして、私は彼らと別れた。
 ネルソンの町を歩き始めると、今日は土曜だからであろう、町はひっそりとしている。ATMで100ドルをおろす。ネルソンは期待したほどには洗練されていない田舎町といった風で、私にはいま一つという感じがした。実はインフォメーションセンターの人達の印象もほんの少しだが好感がもてないところがあった。私はけっして田舎が嫌いというわけではないのだけれど、田舎の良さがもっと感じられればと思った。インターネットカフェも高かった。1時間で6ドルも取られた。印象だけでものを言ってはいけないのだろうけれど、期待が大きすぎたのかもしれない。あるいは単にこれは相性の問題なのかもしれない。
 宿に戻ると、これから車で夫婦で出かけるという。二人で少しドレスアップしている。あとは御自由にやってという感じだ。「今夜は、他に客はいないの」と私が聞くと、どうやら今夜は私一人だけが客のようだ。なんか留守番係を仰せつかったような感じがしないでもない。妙な気分だが、「それじゃ、楽しんできて」なんて言葉が口に出る。これじゃ、本当に留守番だ。
 外の玄関の鍵は私にも渡されているので、ビクトリアンローズ(Victorian Rose)というアイリッシュパブに行ってみる。ラグビーを観ながら一杯やっている人が多い。アイルランドのパブというのは基本的に飲むだけのところで、みな夕食を食べてからパブに来るのが普通だ。だからパブで食事をしたいというのは、日本ほどには便利ではないのだが、それでもパブフードというのがあって、ニュージーランドに来てから観察していると、案外パブで食事を済ませている人もいる。大抵は一人で来ている人に多いのだが、カップルで来て食べている人もいる。とりあえず、ギネスの1パイントを頼むと、これが7ドル。「初めてこの町に来たのだけれど、何か魚料理でつまみになるようなものありますか」とウェイターに聞いたら、魚料理(Seafood Platter)をすすめられた。これが15.95ドルで、エールビアを追加して4ドル。全部で26.95ドルで、1890円ほどだった。とくに今日は音楽もないようなので、早々に切り上げ、帰ってシャワーを浴びて寝ることにしよう。