ワイロアの映画館でワイロアにまつわる古い映像を見る

 この映画会は、ワイロアフィルムショーと題されていて、入場料は5ドルだった。
 1901年に撮影された、コーンウォールとヨークからの皇室を迎えるための歓迎ハカダンス。1926年のSir James Carrollのギズボーン、ポバティベイでの葬式。1931年のワイロアとギズボーン地震被害。1934年から1935年にかけてのクリスマスホリデイで、ワイカレモアナ湖とウレウェラ(Urewera)への家族旅行の際の映像。1953年の体育授業の様子。
そして1946年のマオリ第28大部隊(the 28th Māori Battalion)の帰還。ここでは、ハカ、ポイ、アクションソングズが楽しげに繰り広げられていた。この戦争では、7000人以上のマオリが闘ったが、7人に5人が亡くなるという割合だったという。こうした戦没者は帰還の際に栄誉を受けたが、こうした中の一人にGunner Jack Seymourがいた。彼の記念碑はオタキ(Otaki)近くの、ククオハウ(Kuku Ohau)で除幕式がおこなわれたという。
 この第28代部隊の生存者たちには、ワイロア近くの農地が与えられ、農業に従事するようになったようだ。
 肺炎の対処法のような保健所のフィルムもあったが、1952年のマオリの女の子とパケハの男の子の悲恋という、「ロミオとジュリエット」か「ウェストサイド物語」*1のような悲恋ドラマの宣伝もあった*2
 そして、今回の上映会の最後を務めるのが、朝の報道番組のブレックファーストで私も知ることになった話題の小作品。タイカ=ワイティティ(Taika Waititi)による、「二台の車、ある夜の」”Two cars, One night, 2003”である。
 上映会に集まっている人たちは、ワイロア周辺の人たちが多いらしく、全部で40人ほどの観客だった。博物館で会ったマオリの男性にも再会して、自分の祖父が、TB(肺炎)の箇所で写っていたという。
 ニュージーランドのフィルムアーカイブは、なかなかいい仕事をしている印象を受けた。
 The Film Archive
84 Taranaki Street, Box 11449, Wellington
http://www.filmarchive.org.nz

*1:もちろん、「ウェストサイド物語」は「ロミオとジュリエット」を下敷きにしている。

*2:パンフレットには、Broken Barrier-Trailer, 1952と題して、以下のような説明文が記載されていた。 Pacific Film’s first feature production was directed by John O’Shea & Roger Mirams. “This is a big picture, the film you’ve been waiting for. The drama of a Maori girl and a Pakeha boy, unfolding against the sheer majesty of the New Zealand landscape. People will talk about it from North Auckland to the Bluff. You too will walk ....into a real drama of New Zealand life.”