ホリデイパークに戻って、台所でデジタルカメラから写真をラップトップのパソコンに入れてスライドショーでいらない写真を選定していると、「マオリのイベントに行ったんですか」と、ドイツ人の女性から話しかけられた。
彼女のパートナーはキーウィで、彼女は、テ・マタティニには行っていないようだが、白人のキーウィが何故マオリ文化に興味がないのか不思議がっていた。
彼女は、小学校にあがる前の特殊学校教育に従事しているというから、シュタイナー教育のように、教育思想に教養があるのだろう。
パケハが来る前は、マオリは100%マオリ語を話していた。パケハが来てからは、学校でマオリ語を話すと罰せられた。マオリ語が公用語になるのは1987年のことだと、いつもの話を私は彼女にしたら、彼女は、公用語化はそんなに遅かったのと驚いていた。
ダイニングで続けてパソコンで仕事をしていると、食事をつくりに来た別の女性のキーウィが来た。彼女にパカハカの話をすると、彼女は興味がなさそうだった。
「いくつかの民族の集まった国」(A Nation of several nations)の未来は、なかなか簡単ではない。