働くものと国民にとって十分な選択肢がないことが日本の悲劇である

地域の郵便局

 郵政法案が参議院で否決され、とうとう小泉首相衆議院を解散させた。
 そもそも郵政法案とは、国民にとって何なのか。外圧と保険会社の要望である郵政民営化は廃案になってしかるべきと考えているものにとって、廃案は当然である。
 さて、小泉首相の戦略・戦術は、自民党内の造反組との対決を鮮明にして、自民党を再編することに狙いを定め、郵政民営化に賛成か否かが重大争点であるかのようにすることが目論見のようだ。他に大事な争点があるのに、国民不在、独裁政治も極まれりの様相である。
 一方、民主党は、自民党との対決、いわゆる二大政党論を争点にしようとしているが、果たしてそうなるだろうか。
 大体、民主党っていったって、元々は自民党が多いわけで、自民党的なものの延命を図っているだけと言われても仕方あるまい。
 自民党は、単独ではもはや政権を維持できず、他党を巻き込むかたちでしか政権が維持できないところまで追い込まれているのに、長年野党だった公明党という政党の役割は一体何なのか。近年、政権に擦り寄り、自民党の延命を図ってきた役割、その役割は無視しえないと言われても仕方あるまい。
 この絶好のチャンスに、またもや自民党にとって代わる国民や働くものの側の選択肢が明確に見えてこない。
 憲法に関していえば、日本人310万人、アジア人2000万人の尊い犠牲の上に成立した憲法九条をかなぐり捨てて軍隊の海外派兵を自由にできる国にするのか、暮らしでいえば、年金問題や大増税で貧富の差をさらに拡大させるのか、そして靖国参拝問題をはじめとして、とりわけアジアとの外交問題なら、ますますアジアから日本を孤立させるのか。働くものと国民にとって、こうした重大な問題が山積みであるにもかかわらず、選択肢が十分に見えてこないのは、どうしたものか。
 今の日本は、いまだに自民党的なるものが大手を振っていて、自民党的なるものの枠の中でしか選択肢がなく、働くものと国民にとっての選択肢が十分にないことが日本の悲劇に他ならない。