228平和公園を訪れる

 二二八事件は、台湾の戦後史を知るに欠かすことはできない。この舞台のひとつとなった二二八和平公園は台北駅の南側にある。
 この事件について、先に紹介した片倉氏の本から簡単に要約してみると、1947年2月27日の夕暮れに事件は起こったという。台北市内の商業地区でパトロール中の密輸取締官が、一人の中年女性から物品を押収した。通行人たちは日頃の不満もあり、取締官を囲んで抗議した。小競り合いから取締官による発砲や、憲兵による掃射によって数十人の死傷者が出て、抗議デモ・抗議運動が台北市全体に広がっていった。「中華民国軍は銃器こそ持っているが、士気の高くない軍隊だった」ので、現在の二二八公園内のラジオ放送局も民衆によって占拠され、台湾全土に事件を知らせて、3月1日には事件が台湾全土に波及したという。
 3月8日に憲兵第四団と陸軍第21師団の増援部隊が上陸して以来、「陰惨をきわめる事件の後半」が始まる。
 1949年5月19日には、台湾全土に戒厳令が敷かれることになり、蒋介石一派による恐怖政治が始まる。
 この後、台湾は38年にもわたって戒厳令下に置かれ、この時代が白色テロの時代と呼ばれることになるのである。
 「一九九二年に発表された政府の調査では、この事件で推定二万八〇〇〇人が犠牲になったという。終戦時の台湾の人口は約六〇〇万、実に二〇〇人に一人が犠牲者となった」ようだ。
 1981年、アメリカ合州国はサンフランシスコで英語集中講座のクラスで初めて台湾人の女性に会った際に、台湾の映画を観にいったことがあった。
 この台湾映画の内容は、ロマンス映画というのか、恋愛物なのだが、男性の方はほとんど軍人さんである映画が多かった。私は日本の戦前の映画を観させられているような妙な気分にさせられたものだが、1987年に38年間続いた戒厳令が解除されたというから、戒厳令下の時代の映画であったはずだ。だから、当然軍国主義調の背景が描かれていたわけである。