芝山公園再訪

 温泉博物館を見学したのちに、芝山公園を訪れる。芝山公園を訪れるのは、これで二度目になる。
 前回、芝山公園には、急な階段を上って、伊藤博文揮毫による「学務官僚遭難の碑」を見たのだが、今回は、恵済宮の方から一周まわるかたちで公園を歩いた。それで、前回見落とした「六氏先生の墓」を見ることもできた。これは大きな収穫だった。
 芝山公園にあった日本語教育の研究所は、台湾の皇民化教育の拠点になったところであるし、台湾人が良民になるためには日本語を学ぶべきであるとして、芝山巌(しざんがん)で日本語教育が始まったのは、1895年と言われている。翌1896年の元旦に抗日台湾人が蜂起し、日本人教師6人が殺された。これが六氏先生の事件である。日本は、この芝山巌事件を利用し、忠君愛国の教育者の鑑としてまつりあげ、「芝山巌精神」を学ぶべきであると宣伝し、台湾に来る教員という教員は、必ず第一番目に、この芝山巌に来たと言われている。
 いま現在教師である私は、別の意図、別の文脈と、さらには複雑な思いで、台湾を訪れる際には、この芝山公園を訪れないといけないと、個人的に考えているのである。