6月12日の私の日記に長いコメントをいただいた。問題提起された点について、自分なりに考えてみた。
表現の仕方は別にして、教員の力量不足という問題提起に対して、一般論としては私に異論はない。教育者たるもの、厳しい研鑽・自己点検が必要である。
おそらく私と意見が違う点は、そのあとであるように思う。
以下は、反論というよりは、むしろ、6月12日に私が書いた教師集団が重要であるということを明確にするための復唱、繰り返しに他ならない。
学校という場所は、教師の人格と生徒の人格が切り結ぶところである。この点で、個々の教師の、教師としての資質が重要であることは明らかであり、この点で議論の余地はない。
「教師としての資質」という場合、高校教育でいうならば、教科指導と生活指導という両輪があり、そうした教育的力量の向上はもちろんのこと、その土台には、教師らしい人格、教養と品性を高めるという重たい課題がある。それで、この教師の厳しい道に、完成という終わりはない。いわば、「教育者自身が教育されなければならない」のであって、だれも、このテーゼを否定することはできないと思うからだ。
1966年に採択された「ILO・ユネスコ 教員の地位に関する勧告」という有名な勧告がある。この「勧告」の中の「教員」とは、「学校において生徒の教育に責任を持つすべての人びと」をいい、その「地位」とは、「教員の職務の重要性およびその職務遂行能力の評価の程度によって示される社会的地位または尊敬」と「他の職業集団と比較して教員に与えられる労働条件、報酬その他の物質的給与」等を意味するとあるのだが、この勧告の第4項、第5項は次のように述べている。
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- 4 教育の進歩は、教育職員一般の資格と能力および個々の教員の人間的、教育学的、技術的資質に依存するところが大きいことが認識されなければならない。
- 5 教員の地位は、教育の目的、目標に照らして評価される教育の必要性にみあったものでなければならない。教育の目的、目標を完全に実現するうえで、教員の正当な地位および教育職に対する正当な社会的尊敬が、大きな重要性をもっているということが認識されなければならない。
有能で正しい姿勢をもった教員を育成にするには、教職課程の問題、教員採用の問題、教師の労働条件の問題など、さまざまな問題があるが、なかでも研修の重要性は強調しても強調し過ぎる事はない。
さて、こうした教師個人の資質向上の問題は、否定されるどころか、問題の深い分析とともに克服されなければならないことは言うまでもない。私が強調したかったことは、と同時に、学校全体としての教師集団のまとまりがより一層重要であるという点にある。