「風刺漫画を乗り越えよう」

amamu2006-02-11

 昨日のIHTで、インドネシアのユドヨノ大統領(Susilo Bambang Yudhoyono)が「風刺漫画を乗り越えよう」(”Let’s try to get beyond caricatures”)と題する記事を投稿している。
 それによると、「国際社会は、この火を消すために協力し合うべきだ」(“The International community must work together to put out this fire.”)と呼びかけ、「まずやるべきことは、報道の自由としてこうしたマンガを正当化することをやめることだ。報道の自由として正当化することは、ムスリム共同体の姿勢をかたくなにするだけだろうから」(“A good start would be to stop justifying the cartoons as “freedom of the press,” which only hardens the Muslim community’s response. )と述べ、さらに続けて、「さらに決定的なステップは、再生を断ち切ることだ。それは、暴力を長引かせるだけだから」(”Another vital step would be to discontinue their reproduction , which only prolongs the outrage.”)と主張している。
 回教徒でない者にとっては、預言者・モハマドは重要でないかもしれないが、回教徒にとっては、それは重要で、冒涜は許されないのだ。
 これは学生時代に本で読んだのだが、「表現の自由」は、もちろん本的人権に属するものだろうが、何を言っても許されるものではないことは当然である。たとえば、他人の基本的人権の基本である「生存権」を否定するような「表現の自由」が果たして許されるだろうか。他人の生存権を否定するような「表現の自由」が許されるはずもないことは明らかである。異文化間のコミュニケーションとなれば、なおさらだ。
 国際的コミュニケーションでは、互いの違いを認め合い、尊敬と寛容の精神で接しなければいけないということは、きわめて基本的なことである。