変な中国語、変な英語は、お互いさまだけど、いいかげんな姿勢だと文化に対する侮辱になる

amamu2006-04-06

 昨日の話の続きを少しだけ書く。
 どぎつい英語や、きわどい英語、変な英語をTシャツなどにプリントされていても日本人は平気であるという話は昔からよくされていたし、私も一貫して生徒に話をしてきた。
 その最たるものは、「四文字コトバ」(four-letter words)や「性的なコトバ」、「悪態をつく不敬なコトバ」(curse words)などだが、英語を母語とする人たちが顔をしかめるようコトバ、たとえば、”bit**”という単語をプリントしたTシャツを若い女性が平気で着ていたりする。
 私が英語の教員になりたての頃、これはもうすでに四半世紀も前のことだが、こうした無邪気な姿勢を批判すると、生徒たちは決まって「でも先生、これはファッションだから(許される)」と能天気に反論されたものだ。私は決まって、「でも、それは許されない」と反論してきた。
 昨日紹介した記事にも、次のような意見が書かれていた。
「意味を調べずに漢字の刺青をする人たちは、そのある言語を矮小化している」(“people who get Chinese tattoos without researching the meaning are trivializing a language”)
「多くの西洋人が刺青をしている。個人的な理由からだけれども、なんでもかでも異国情緒たっぷりにし過ぎている」( “A lot of Western people get tattoos, and even though it’s for personal reasons, they make everything so exotic.”)
「彼らはその文化をまさに侮辱していることになる。 中国文化は何千年もの歴史があるのだから」(“They do insult the culture. After all, Chinese culture has been here for thousands of years.”)
 外国語は一生懸命学んでも不完全なものにならざるをえない。特に初級者の場合、それが自然である。だから、一生懸命外国語を使っている人をバカにしてはいけない。母語でない場合、間違えることは権利と言ってもよい。だから変な中国語、変な英語はお互いさまだけれども、それが無批判的でいいかげんな姿勢で用いるとなれば、それは異文化に対する侮辱になるということは覚えておいてよいことだ。
 さらに言えば、日本の場合、それが植民地的心理状態の反映であることも、覚えておいてよいことだ。
 常々私はそう考えている。