いきなり下品なオノマトペの題名にしてしまったけれど、4月14日付けの毎日新聞で、東京都教育庁が、職員会議で教職員による「挙手」や「採決」をおこなってはならないとする通知*1を出したという記事を読み、心底呆れかえって、こんな題名しかつけることができなかった。
はじめ何かの冗談か誤報に違いないと思った私は、東京都教育庁の学務部が「校長がリーダーシップを発揮し、スピーディーで透明性のある意思決定と学校運営を目指し、教育の質の向上を図りたい」としているとの箇所を読んで、またまた呆れかえった。
http://www.excite.co.jp/News/society/20060414030000/20060414M40.148.html
いまの日本の教育で大切なことは、子どもたちに基礎的な学力をつけることだ。もちろん、芸術教育や体育も重要だけれど、そうした力とともに、国語や数学などの基礎的な学力をつけることを軽視することはできない。そして、そうした基礎的な学力をもとにして、なによりも子どもたちが自分の頭で考えるようになることが大切だ。
こうした教育課題については、誰も否定できないと思う。
それで、こうした自分の頭で考えることのできる子どもをつくるためには、なによりも、教師自身が自分の頭で考えられるような人間でなければならない。もちろん、教師も一人よがりになってはいけないから、集団的に物事を考え、物事を決められる教師集団の自治の力がないとならない。
教師集団に自治的力量がなくて、どうして、生徒に自治的な力を育てることができるだろうか。
だから、教師に自分の頭で考え、集団的に意見をまとめることを禁止することは、教育の自殺行為である。
もう一度毎日新聞から引用するけれど、東京都教育庁の学務部が「校長がリーダーシップを発揮し、スピーディーで透明性のある意思決定と学校運営を目指し、教育の質の向上を図りたい」というような内容を語ったようだが、私がもしこれを翻訳するとすれば、「現場から多くの意見を吸い上げることなく、校長に独裁的権限を発揮させ、教師一人ひとり、そして教師集団の考える力を無視し、一方的で上意下達な学校運営を目指し、教師の意欲を削ぎ、さらなる教育の質の低下を図りたい」と、そういう風にしか私には読めない。
一体全体、東京都教育庁は何を考えているのだろうか。