9月24日放映の「林先生が驚く初耳学」

 「今でしょ」の流行語で有名になりタレントとなった予備校講師の林修先生。
 その林先生の9月24日放映の「林先生が驚く初耳学」をたまたま観た。
 とくに林先生のファンでもなかった私は、林修氏の適切で的確なコメントに心底驚いた。

 番組では、英語ぺらぺらの親ほど英語早期教育に冷淡な傾向があるとか、英語ができることと仕事ができることは違うのに世間は勘違いしているとか、幼児教育における英語の優先度は低く考えてもよい、お金をかけるべきはスイスのキュボロを活用するような集中力を養う幼児教育ではないかとか、体育系のクラブ活動の指導体制で、強豪・帝京大学ラグビー部では、大学4年制が雑用を担当しているとか、まさに教育のことがよくわかっている教師らしいコメントに共感した。
 きわめつけは、灘中の教科書採用をめぐる政治的圧力の問題だ。
 この問題で、林先生は、和田校長を高く評価した。教科書採択をめぐって政治的圧力と静かに闘った灘中校長について、内容に踏み込んで高く評価していたことに心底驚いた。

 家永教科書裁判で争われた国民の教育権の問題。教育権は、国民にあるのか、国にあるのか、という教育権の問題。そもそも教科書検定という制度自体がどうなのかという問題はさておいて、灘中は、文科省の検定を通った教科書を採択している。
 専門家である教師集団が、眼の前にいる子どもたちに、最も適切だと思われる教科書を採択する権能が現場に認められることは、当たり前のことだ。
 これに圧力を加えた県会議員、市会議員はどうなっているのか。
 同じ内容の葉書が大量に学校に送られるという圧力の仕方も問題である。
 手続き的にも内容的にも「私たちは何も間違ったことをしていない」「政治的圧力だと感じざるを得ない」と教育現場が感じたのは当然だろう。

 灘中の校長先生が言うように、今まさに4つの圧力がかかっていると言えるだろう。

  • 「政府による新聞やテレビ放送への圧力」
  • 「学校教育に対して有形無形の圧力」
  • 「安保法制に関する憲法の拡大解釈と緊急事態法にも似た法律が取り沙汰されている現実」
  • ヘイトスピーチを振りかざす民間団体が幅を利かせている現実」

 こうした4つの圧力に囲まれて、国民が押し込まれそうになっている。

 林先生は、和田校長が「屈することなく静かに戦う姿勢を見せた」「こういう姿を見せることが教育」「和田校長は本当に尊敬に値する」と適切・的確にコメントしたが、さらに、林先生は、「教科書はきっかけ」「教科書は全て正しい」が危い、「自分なりに(自分の頭で)学ぶ」ことが大切と強調していた。
 少しだけだが、林先生が学生の頃につけていたノートが画面に映し出されていた。一見しただけだが、自分なりの創意工夫が感じられるノートだった。
 教科書はもちろん教師に対しても、学生は批判的に自主的に判断し考えるべきだろう。
 これは本当に大切な指摘だ。

 これからの時代の若い人たちは、答えのない社会・世界に生きなければならない。
 どうしても、自分の頭で考えることが大切になってくる。こうした自主性は、以前から強調されてきた教育的価値だが、大人や学校の教師が自主的に考えることができなければ、自主性が効率的に育つわけがない。けれども、ダメな政治家やダメな教師であっても、全く希望がないわけではない。「反面教師」という言葉があるように、子どもたちは、こうした大人たちのことをよく観察し学んでいる。ひどい大人が周囲に多ければ、悪循環と反復がおこなわれてしまう。それを覆すには子どもの側に相当な力が要求されるだけだ。
 林先生が灘の生徒に、校長先生を評価して灘はしっかりした学校だと言ったら、灘の生徒が「そうっすか」と笑ったという。
 生徒はよくわかっているのだ。

 今回、「林先生が驚く初耳学」を観て、「忖度」ばかりの日本の政治と日本のマスコミと思っていた私は心底驚いた。