トランプ大統領の実際の発言と通訳者を介しての“発言”

 支持するかどうかという政治的立場の違いはあっても、口汚くののしるトランプ大統領の下品な発言自体と野卑な発言の仕方はアメリカ合州国内では周知の事実である。
 しかし、海外では、どれほど実態が知られているのか。
 間接的には、トランプ大統領の発言に関する評価は伝えられているが、実際に見ると聞くとでは大違いということがある。つまり、真の姿がわかっていないのではないか、伝わっていないのではないかという問題がある。

 だからデイリーショー(The Daily Show)のトレヴァー・ノア(Trevor Noah)によれば、外交で海外に出かけたときトランプ大統領は得をしているということになる。なぜかといえば、彼の発言が直接にではなく、常に通訳を通して語られるからだ。

 デイリーショーは、アメリカ合州国の政治風刺番組(お笑い)である。
 2004年にロサンゼルスを3度目の再訪を果たしたとき、俺が世話になった家では、毎日デイリーショーを見て一家で大笑いをしていた。
 そのときの司会者・ジョン・スチュワート(Jon Stewart)から、現在はトレヴァー・ノアに代わっている。
 トレヴァー・ノアは、南アフリカ出身。
 俺は未読だが、この9月に、”Born a Crime: Stories from a South African Childhood”という本を出し、ベストセラーになっている。
 書評をざっと読んでみると、白人のスイス人を父親と黒人の母親の間に生まれたことが罪という環境のもとで、幼年期は隠れるようにして子育てされたという。おそらくそれで、本の題名が"Born a Crime"というタイトルになっているのだろう。トレヴァー・ノアは、苦労人のようで、比較的静かに語るスタイルは、ジョン・スチュワートのスタイルよりは、俺の好みだ。

 
 トランプ大統領の発言のひどさは、実際に彼の発言を聞き、直接理解しなければ、こんなにひどい発言なのかと、わかるようなものではない。最近のNFLに対するトランプ大統領の発言などを聞くにつけ、そのひどさの程度が日本人に伝わっていないことは事実だろう。
 これは一語一句、逐語的に、文字通りのコトバの問題としてもそうなのだが、表現というものは、一語一句、逐語的なものだけではない。ボディラングエッジという、言葉だけではない(non-verbal)身振り手振りの身体表現や口調がある。コミュニケ―ションとしては、そうした要素のほうが大きいとされている。だからノンバーバルな要素も含めて、通訳してほしいというのが、今回のデイリーショーの主張なのだが、これは極めて教育的な観点で、今回の番組は見ていて俺でもたいへん共感することができた。

 内容は手厳しいが、デイリーショーのトレヴァー・ノアによる、比較的おだやかな物言いによる政治批判。CBSのスティーブン・コールベアの政治批判。いずれもお笑い(comedy show)なのだが、アメリカ合州国らしいというのか、トランプ大統領に対して、これでもか、これでもかという言いたい放題の激しい番組である。
 こうしたテレビのお笑い番組は、多少は面白くもあり、また同時に、俺としては、かなり悲しくもあるのだが、政治も、誤魔化さずに、言葉できちんと説明すべきだろうという観点としては、日米においては各段の差があるようだ。
 文化が違うといってしまえば、それまでだし、アメリカ合州国がよいといっているわけでは決してない。けれども、権力を笑うのが「お笑い」や「落語」の真骨頂ではなかったか。そう思うと、弱い者を笑いものにすることさえある日本のテレビ番組のお笑いは、脱政治的・非政治的で、全く笑えない。
 ニュース報道をおこなっているマスコミも、もっと、権力に批判的な、ジャーナリズムらしい仕事をしてほしいと思うのだ。

 トランプ大統領の発言を正確に通訳すれば、通訳者も卑猥な表現を使わざるをえず、通訳者が下品と思われるリスクをともなう。
 だから今回のデイリーショーには、かなり卑猥な表現も、番組の中で使われている。そうした卑語がまた伝わりにくい。卑猥な表現を使うリスクを恐れないのがデイリーショーということなのだろう。そうしたスタイルは俺の好みではないのだけれど、メディアリタラシーの問題としては、今の日本の教育で扱うべき問題ではないのか。日本の教育としても、そうしたリスクを恐れてはいけないのではないか。今回、番組を観て、そう感じてならなかった。
 もっとも、大統領や首相みずからがお笑いになっていること自体が問題である。決して笑えないのだが。これは喜劇のようでいて、まさに悲劇なのである。
https://www.youtube.com/watch?v=7qL1un6NPZA&list=RD7qL1un6NPZA&t=418