東京都教育庁は大丈夫か

amamu2006-04-15

 私立大学附属高校に長年勤めてきた高校教師の私が、東京都教育庁による今回の通知内容のひどさに呆れかえった理由は、今回の通知が教育の死を意味すると思うからだ。
私がそう考える理由はたくさんあるけれど、第一に、教育の本質として、教師集団の力量をあげることが何よりも大切であるにもかかわらず、これを全く無視していることだ。生徒集団の力を引き出すためには、何よりも、教師集団の力を引き上げることが重要であるから、まさに教師集団を教育的な集団として育て、そうした教師集団による意志決定の権威を高めるべきであるのに、まさにその逆を行っているからである。
 第二に、校長の権限ばかりが強調されているようだが、どんなに優れた人物でも、個人の認識能力や判断能力は限られているものだ。優れた管理職といえども、一人では何も正確にはわからないし、一人では何もできやしない。それは何故かといえば、個人の認識は限られていて、優れた集団の認識能力や判断能力には勝てないからである。
 第三に、教師集団と管理職を対立的にとらえている印象があるけれど、そう考えているとすれば、それは間違いである。教師集団を集団らしい集団にまとめあげるために指導するのが管理職の力量であるはずであるからである。
 もし、職場がばらばらで、まとまりが悪いと嘆くのであれば、それはもともと教育的な場ではないということを意味する。そうしたばらばらで、集団になっていない集団を、教育的力量をもった教育的な集団に育て上げることこそがまさに管理職の力量であるはずだ。
 これは、ばらばらな生徒集団を、規律ある自主的な集団へと組織する教師の仕事と全く同じことである。ばらばらな教師集団を、規律ある自治的力量と教育的力量をもった教師集団へと組織することは、教師集団一人ひとりの課題であると同時に、管理職の課題でもある。
 第四に、そもそも、今回の通知でおかしいと思う点は、教育する権利主体はどこにあるのだろうかということである。今回の通知にあるように校長権限を強めるということは、校長だけに教育権があるような印象を受けるけれど、そもそも、教育権が親権をもつ保護者にあることは間違いない。そしてそうした教育権をたばねて、教育の専門家に委ねているのであるから、教師に教育権があることも言うまでもないことだ。そして学習する権利は誰にあるのか。それは言うまでもなく生徒にある。
 今回の東京都庁の通知は、教師の教育権をないがしろにするばかりでなく、親の教育権や子どもの学習権をないがしろにしているように思えてならない。
 誓ってもいいが、こんなことをしていたら、「教育の質の向上」どころか、教育の荒廃は、ますます進行するだろう。
 東京都教育庁は、子どもの学力を心配し、そうした仕事に邁進したい現場の教師を何故こんなふうにして、いじめるのだろうか。
 私には全く理解できない。