社会教育・教育現場には専門家を配置すべきであり、スタッフは優れた専門家集団でなければならない

 今回の事故現場スタッフが一番知らなければならなかったことは、流れるプールでの排水口や吸水口が「悪魔の穴」であるという認識だ*1。一番大切な、その認識が欠如していたことから教訓を学ぶべきである。そうした認識が欠如していたから、せっかく柵がはずれていると小学校3年生の男児が教えてくれたのに、防げなかったのだ。 
 責任感がより強く、誠実に現場を熟知しようと勤める熟練労働者がいて、集団管理体制をつくることができていれば、今回の事故は防げただろうと思うと、悔やんでも悔やみきれないが、二重柵を設けなかったことと、さらに言えば、「素人」集団の、管理にならない管理体制、すなわち無責任体制を放置した市行政の無責任こそが厳しく追及されなければならないと思う。
 なぜなら、繰り返しになるけれど、社会教育・教育現場には専門家を配置すべきであり、スタッフは優れた専門家集団でなければならないからだ。そして、これまた繰り返しになるけれど、そうした体制をつくることが行政の仕事であり、行政の責任であるからだ。
 コスト面だけで、安易な民間委託をして、管理もせず、責任も取らないような仕事だったら、仕事の名に値しないし、そんなものは誰にでもできる。コスト面だけで安易な民間委託をすすめる行政の怠慢姿勢は批判されなければならない。
 ふじみ野市の今回のプール事故に私が関心を持たざるをえないのは、現在の日本では、こうしたコスト面だけからの安易な民間委託が進行しているからに他ならない。
 それは、私たちの命と暮らしに直結していると言わざるをえないからだ。

*1:もちろん、そうした認識の上で、「排(環)水口のふたの設置の有無を確認し、ふたがない場合は早急にネジ・ボルトで固定すること」「吸い込み防止金具を丈夫な格子金具とする」「いたずらなどで簡単にとりはずしできない構造とする」といった「国の通知」を遵守し、具体的には、柵を二重構造にするなどの適切な処置がされていれば何の問題もなかったわけだが。