映画「まあだだよ」は、結果的に映画監督・黒澤明の遺作となってしまった作品である。
「七人の侍」などの大活劇を作った、世界の黒澤とすれば、「まあだだよ」は、きわめて地味な作品と言わなくてはならない。小津安二郎や山田洋次に対する自意識があったのだろうか。そんな気にもさせてくれるほど、黒澤作品としては地味な作品なのである。師弟愛というものは万国共通なものなのだろうが、「まあだだよ」は、日本語でないと理解しにくい面が多々ある。だから、日本語が分からないと分かりづらい映画を、世界の黒澤が晩年に作ったということになる。
この映画の原作は、法政大学でドイツ文学を教えていた内田百輭の話と黒澤明の個人的体験とが土台になっていると言われている。内田百輭は夏目漱石の門下生だったようだが、実在の内田百輭については私はよく知らないし、内田百輭だとしたら、松村達雄はミスキャストだという話もあるけれど、映画の中での、先生は「金無垢」と生徒たちから慕われていて、実際、生前内田百輭は、5月29日に摩阿陀会(まあだかい)という誕生パーティを東京ステーションホテルで続けていたようだ。
実在の内田百輭と松村達雄扮する先生が似ているかどうかは別にして、映画の中の松村達雄はまさに先生然としている。
そして、この先生は少しおかしい。もとより先生という存在は浮世離れしているところがあるから、本質をはずしているわけではないのだが、ある種、先生という存在に対するカリカチャーになっている。初めの方の馬のシーンもおかしいが、映画の中の先生の語り口調は、落語的で、ユーモアがある。実際、この先生の語りは、山田洋次監督の映画・「男はつらいよ」の寅さんを彷彿とさせる。たとえば新築の家の庭について先生が語る場面がそれだ。それでも先生がロゴスの人であることに変わりはない。ヒゲをはやした学生についての話などは、その典型だ。
また、この先生には教養をベースにした毅然とした迫力もある。それは激しい雨が降る中、戦災で焼け出され、方丈記の鴨長明を先生が気取るところがそれである。それでも、教え子の前で弱気になり、教え子にたしなめられる場面もある。その場面を教え子役の井川比佐志が好演していた。
後半のエピソードの中心は、飼い猫の話である。
去るものは追わずをモットーにしている先生だが、のらという飼い猫がいなくなってしまうと、その喪失感たるや凄い。想像力がたくましいというのか、「金無垢」というのか、凡人ではない。そうした中で、先生は、自分を気遣う優しい人々の存在に気がつく。「大黒様は誰だろうと」歌い、大黒様は、君たちだと生徒たちの存在に気づくのだ。
前にもどこかで書いたように、聴衆がいないといい語り部は育たない。いい落語家は観客が育てるというように、いい先生はいい生徒が育てるものだ。この先生に頭が上がらない生徒たちの、先生に対する尊敬の念(リスペクト)が、「まあだだよ」の全編を貫いている。
あと印象に残る場面は、「まあだだよ」は全編を通じて男のバカさ加減を表現しているように私には思えるのだが、第一回の魔阿陀会に出かける前に、絵画的に美しい四季の風景とともに夫婦愛を単純なカットで描いていることだ。また、第一回の魔阿陀会には、奥さんは先生を送るだけで参加していないが、第17回の魔阿陀会では参加されている点も心に残った。
冒頭で書いたように、映画「まあだだよ」は、大変地味な映画なのだが、人間にはやっていいことといけないことがあると、地上げ屋が戦後日本をダメにした一つの象徴として、まさに「なんざんす」というべき唾棄すべき人物に対して猫が怒るシーンで怒りを表現し、「おいっちにの薬屋さん」の唄でリベラルな精神を表現し、地味な中にも、ダイナミズムを入れ込んでいる。第一回の魔阿陀会での、ビアホールの宴会の場面でのエネルギーは、まさに集中と弛緩を表現しているし、戦災に焼け出されたときの雨の使い方なども、「七人の侍」とは違うけれど、演出に静かな気迫が感じられた。
さて、先生がよもやと倒れる最後の場面で、奥さんがいなくなると、先生の教え子たちは背広を脱いで、明日は学校もないし課題もないとくつろぎながら、先生は、どんな夢を見ているのだろうと、酒を酌み交わしながら問いかける。
第一回魔阿陀会のときに、死の予行演習として葬式をやるが、先生が存命だからこそ、教え子たちは安心して楽しい時間を過ごせるのである。
いないいないばあは、あるのか、ないのか、赤ん坊に教える点で、意味が深いというような話をどこかで聞いたことがあるが、死があって生があるのであり、まあだかい、まあだだよも、その意味で、大変単純な真理を扱っているのだ。
「みんな、自分の本当に好きなことを見つけて下さい。本当に自分にとって大切なものを見つけるといい。見つかったら、その大切なもののために努力しなさい。きっとそれは君たちの心のこもった立派な仕事になるでしょう」と、子どもたちに話をするときの先生の話は、その意味でも、私たちの胸を打つのである。
1993年の作品。