小沢昭一さんの講演会に行ってきた

 最近、とても忙しくてブログを更新している暇もないくらいだが、先輩から、忙しいくらいが華だと言われて、そんな理由で更新を怠るのはよくないというお叱りを受けた。
 昨日の土曜日も仕事で、公私ともに多忙なのだが、新聞で小沢昭一さんの講演会があると知っていて、時間がとれれば行きたいなと思っていたのだが、時間をなんとか見つけることができて、当日券をねらって出かけてみた。
 好きなことは、できるうちにたくさんやっておきたいと、年齢とともに、人間というものは思うようだが、私も同様で、忙しい忙しいと、「忙し自慢」をやっているのも、気持ちのいいものではない。
 そんなこと言っている暇があれば、好きなことをひとつでもやった方がよいという気持ちで、出かけてきた。
 私が高校2年のときだったと思うが、神田共立講堂で、淺川マキさんとのジョイントコンサートがあり、小沢昭一さんの話がすこぶる面白かったことを覚えている。また、このときのコンサートでは、深町純さんのキーボードが凄かったことが記憶に残っているのだが、それに負けないくらい、小沢昭一さんの話がとても面白かった。
 これは、その神田共立の話だが、まず小沢さんの登場の仕方からしてユーモラスだった。
 浅川マキさんのステージを歩きながら、コンサートってのは、こんなに機材がないとできないのか、汚ねぇステージだと文句を言いながら登場されたのだ。
 それから、「俺たちおじさんには歌がな〜い。ないか〜ら30年から40年も昔の歌を、歌っているけど、繰り返し巻き返しで、悲しいな。あ〜あ」という、「俺たちおじさんには」が、今でも印象に残っている*1
 そして戦争の話。
 「戦争に突入するのは、一瀉千里よ。だからその前に止めないといけない」という小沢さんの話を今でも覚えている。

 あれからもう27年が経つ。

 小沢さんの昨日の話では、長生きをすると、友達が一人ひとりと見送ることが寂しい。香典は、「生きてるありがた料」だと言っていたが、昨日の話は、小沢さん流のユーモアはもちろんたっぷりと入っているのだが、生き死にの話が多く、静かな迫力と説得力があった。
 「タクシー徘徊」など、アルツハイマーの母親の話もすごかったし、死を覚悟して生活をしていた海軍兵学校の頃の話もよかった。
 浅川マキのコンサートのとき、私は、小沢昭一さんの音楽性などまるでわかっていないハナタレ小僧だったけれど、小沢昭一さんの音楽性、小沢さんの歌と、とりわけハーモニカは、これまで何度か聞いているが、昨日の演奏が最高であった。
 ボケ防止には、音楽がいいという話も、大いに参考になった。
 ボケ防止には、鼻歌でもいいそうで、講演会の締めくくりは、自分のボケ防止のために、話や歌を聞きにきてくれてありがとうございますという、小沢さんらしいボケで終わった。
 やはり、忙しい忙しいなんて言ってないで、好きなことをやっていく大切さに気づかされた一夜だった。

*1:それと同時に「アレ野たれ死に」という唄も歌った記憶がある。「アレ野たれ死に」は、作詞:永六輔。作曲:小沢昭一山本直純。1972年の作品。「ハーモニカが欲しかったんだよ」も聞いた記憶がある。