映画「Milk」を観た。
私はかけだし英語教師の頃の1981年から1982年にかけて半年間サンフランシスコに住んでいたことがあるので、当時のカストロ通り(Castro Street)がゲイのメッカ*1であることは経験的に知っている。にもかかわらず、全く恥ずかしいことに、Harvey Milkのことはこの映画を観るまで知らなかった。最近は雑誌タイムも読まなくなったので、アメリカを代表する100人というような特集で、ハーヴィー・ミルクがその一人に選ばれたことも知らなかった。
私がサンフランシスコに滞在した時期は、ダイアン・ファインスタイン市長だったが、その前のジョージ・モスコーニ市長とハービー・ミルク市政執行委員が、同じく同僚の市政執行委員から銃殺されたという衝撃的な事実も、全く恥ずかしいことに、この映画で初めて知った。
もう30年も前のことだが、当時の日本は、性的嗜好性*2について、テレビで茶化すような状況だったが、当時私が滞在していたサンフランシスコのCastro StreetやPolk Streetでは、男性どうしが往来でキスしながら仲良く歩いていた。本屋では、男性の写真集が店頭を飾っていた。私が当時通っていたバークレーの英語集中講座のextensionも、教師や生徒も、そうした傾向の人が多かったように思う。インテリほどゲイが多いような印象もある。ゲイが集まるバーでは、粋な男性が缶ビールを片手に、同性の男性をウォッチングしていた。そうしたバーには、女子トイレがないバーも多かった。たまに男女混じってクラスメートと一緒に、カストロ通りのそうしたバーに繰り出すと、彼女たちは「この国はどうなっているの。女性の立場がないじゃないの」と憤慨していた。
映画で、同性愛に関する活動家(gay activist)であるハーヴィー・ミルクが、カストロ通りを練り歩くだけじゃダメだ。カミングアウトしなければと訴えることがあったが、当時、ゲイはサンフランシスコのカストロ通りに集まっていた。他の地域では、たとえばPhoenixの保守的な田舎が比較としても出されていたが、サンフランシスコやニューヨークは、異常な都市ということで、一般的なアメリカ合州国の田舎の町で、カミングアウトはできなかったろう。
ミルクの演説では、アメリカ合州国の独立宣言の不滅の言葉、all men are created equal.の精神が謳われていたが、MLK、マルコムXらと同じように、射殺されてしまうという結末に驚愕する他ない。
ミルクの演説は、アメリカ合州国の各地の地名をひとつひとつ具体的にあげながら、繰り返し、畳み掛けていくという手法として、マーチン・ルーサー・キング・ジュニアを彷彿とさせる箇所もあった。弾圧されていた黒人から学ぶということを強調した場面もあった。その意味で、マイノリティや弱者として、アジア人も挙げていた。
ハーヴィー・ミルクが射殺されて3年も経たないうちに、サンフランシスコのマーケット大通りのシビックセンター近くに私が滞在したのだが、当時私が見ていた情景は、映画「ミルク」の後だったのかと思うと、感慨深い。