6時起床。
帰り支度として荷物の整理。
6時半に20分間のストレッチ。その後すぐ朝食。
本日の午前で、スキー合宿は終わりとなる。
それほど疲れているわけでもないが、蓄積披露もあり、平地に戻りたい気分があるのも正直なところ。
技術的にスキーヤーの仲間入りを果たしたとはまだいえないが、それでも、先生が上達を少し褒めてくれたのは嬉しいし、そうした実感もある。
とりわけ、今回のスキー合宿では、以下の成果があったといえるだろう。
第一は、スキーとは、どのように滑るものであるか、今まではよくわかっていなかった。それが、今回の合宿では、その理屈と、スキーのポジショニングの基礎について理解できたこと。
第二は、志賀高原のあちこちのゲレンデを、遠足として、滑る経験ができたこと。
第三に、まだ10回も乗っていないが、奥志賀のゴンドラに乗って、ダウンヒルを自力で降りられる自信がついたこと。
以上である。
11時15分、シー・ハイルで合宿終了。解散直後、ゴンドラに乗り、ひとりで滑る。
まず、レッスンでさんざん滑らされた第三ゲレンデを滑る。その後、ダウンヒルへ向かう。いよいよ自分の力だけでダウンヒルを降りる。
ダウンヒルを降りるとき、夜の交流会で上級者間でよく話題にされていたクマ落としが右に見えた。「見えた」といっても、下は全く見えないほどの絶壁だ。レッスン中は、全くといってよいほど、気がつかなかったクマ落としがダウンヒルの右にあることに、ひとりで滑ってみて、初めて気がついた。
気持ちよく降りてこれたので、もう一度、ゴンドラに乗って滑ろうと思う気持ちが半々だったが、次回にまた来ればよいと思い、やめた。モチベーションが下がったまま平地に帰るのはよくないと思ったからだ。次があるうちは、次にやったほうがよい。
お昼ご飯。
ひとりで、生ビールを飲んでビーフカレーを食べていたら、アイルランド人スキーヤーが食堂に入ってきた。会釈をして同席をした。
彼は、イランで初めてスキーをやったという。それくらい世界のあちこちをまわっている。
わたしにとって初めての外国であったアメリカ合州国のサンフランシスコにも行っている。
サンフランシスコのヘイトアシュベリーのヒッピーカルチャーの話題が出たので、わたしからも、サンフランシスコでは、「性的指向性」(sexual preference)(sexual orientation)、「狭い了見の」「偏見のつよい」(narrow-minded)、「偏見のない」(broad-minded)というような語句を学び、インテリほどゲイが多く、私の先生もほとんどがゲイだったという話題をふった。映画「ミルク」の話もした。
わたしが若いとき、2ヶ月間、「勇敢」にもグレハウンドバスで、北米をまわった話もした。彼もグレイハウンドのパス(長期乗車券)のことを知っていた。
アイルランド家族旅行も、アジア移民とまちがわれそうな雰囲気で、ヒースロー空港からトランジットをして、知らない大都会を運転するのは嫌だから、エアリンガスでコークからレンタカーでアイルランドをまわったこと。ケリー、ディングル、エニスタイモン、ミルタウンマラベイ、モハーの断崖、ゴールウェイ、クリフデン、ドニゴール、キャバン、ダブリンを訪問したことを話した。
ダブリンにいい印象をもっていないというと、ダブリンの治安が悪化したことを、彼は話してくれた。
彼は、800年間イギリスに支配されたアイルランド出身である。ウェールズ語、マンクス語など言語の話になったので、わたしから、英語は、「侵略語」(invader)。他言語にとって、英語は、「殺戮語」(killer)ですよねと、同意してくれるだろうという見通しをもって、少し刺激的なことをいうと、彼は否定しなかった。もちろんという顔をしていた。
スキーも英語も、過去の経験は必ず生きる。無駄になることはない。だから、若いうちに、いろいろな経験をしておくことは、必ずやその人の財産になる。若いうちはいろいろな挑戦をしておくことだ。
スキー場で出会えるスキーヤーは、人間的に面白い人が多い。そうした印象も、今回の合宿で、さらに強くなったことも確かだ。
今回のスキー合宿は、自分としては、飛躍的にスキーも上達し、実りの多い合宿であった。
そもそも遠い道のりなのだろう。英語もスキーも終わりはない。
いまだにスキーヤーの仲間入りを果たした感じは全くないが、錯覚のような気もするけれど、スキーヤーの入口くらいには近づけたような気がする。
次のスキー合宿が楽しみだ。