映画「ヤングアダルト」を観た

Young Adult

 青年期にたくさん映画を観ているわけでもないし、ものすごい映画ファンということでもないのだけれど、初めてアメリカ合州国に滞在したとき、英語を学ぶために映画館に通いつめるようになってから、結構映画を観るようになった。
 時間的余裕があれば、もっとたくさん観たいと思っているけれど、今のような時間貧乏の私には到底無理である。
 それで、このブログで紹介しているのは、余暇ということももちろんあるけれど、どちらかというと教育的なもの、教育関係で自分なりに学んできたものを紹介してきたつもりだ。英語教育や英語学習に関連したもの、また教育的なもの、たまに古典的なものである。
 もともとヴァイオレンスものや性的描写のどぎついものは私の好みではないので、このブログで紹介したことはほとんどない。その意味で、比較的「安全」なものを紹介してきたと言えるだろう。
 今回観た映画”Young Adult”は、「英語教育や英語学習に関連したもの」「教育的なもの」「古典的なもの」という枠組みからすると、適合しない。
 そうした点で、映画「ヤングアダルト」は、学校での教材にはしにくいということを最初に断っておいたほうがよいだろう。


 Charlize Theron演じる主人公のMavis Garyは、Minneapolis, Minnesotaに住む10代向け小説のゴーストライターで、離婚歴のある37歳の女性。アル中である。
 高校時代の彼氏の子どもの誕生のお知らせをきっかけにして、Mercury, Minnesotaという自分の故郷に久しぶりに帰ることになるが、昔の恋人とよりを戻そうと、よからぬ考えをもつ。性格的に性悪というより、これだけみれば人格破綻に近い。でも、都会なら、大なり小なり、そんな人間はめずらしくないのかもしれないけれど。
 Mavis Garyは、高校時代、仲間からもてはやされる学校の花形スターだった。
 女性が男性に好感をもってもらおうとするときに、おしゃれをして、化粧をして、自分を演出することは誰でもすることなのだろう。お酒を飲み過ぎれば、翌日、ひどい恰好でコーラをがぶ飲みすることも普通にあるかもしれない。けれども、このMavis Garyの場合、その差異が極端におかしい。笑えるという意味での「可笑しい」ということではなく、相当変である。まぁ年代的には、そんなに変でもないのかもしれないし、それが都会的病理でもあるのかもしれない。
 Mavis Garyは、犬の可愛がり方も、通常の感覚からすると、ちょっと変だ。それなりに可愛がっているようなのだが、ホテルに置きっぱなしにしたり、高層マンションで餌だけあげたりと、ペットとしての飼い方も、中途半端で、きちんとかまってあげている感じがしない。(この辺は、ミネアポリスの高層マンションの一室で主人公がエクササイズ中に、缶詰の食事を終え、窓の外で吠えている犬が、窓が閉まっているために音声なしで懸命に吠える姿で、的確に表現していたように思う。)
 本屋の場面や洋服のショッピングの場面は、笑える。
 結局、Mavis Garyが最後の大失態をかましてしまう(screwed up)ところ*1まで、この変なおかしさは続き、元の彼氏から、Mavis Garyにとっては衝撃の説明がなされる。二人の認識は全くずれていたのだ*2
 この場面の紹介は映画の筋を明かすことになるので控えておこう。
 そして、高校時代にロッカーが隣だったけれど、当時は花形のスターだったMavis Garyが全く見向きもしなかった、また久しぶりに再会した際にもひどい扱いをした高校時代の知り合い、Patton Oswalt演じるMatt Freehaufに助けを求める。この場面は、Mavis Garyが、文字通りでもそうなのだが、むしろ精神的な意味で裸になるという点で、感動的だ。笑う場面でもあるのだろうが、私には笑えない。
 これは、彼女の意識変化としても大変意味がある場面だと思うのだが、この性的関係は映画「卒業」(The Graduate)のようなもので、結婚というような文脈としては全く意味がないと言えるのだろう。
 なんだか、妙な書き方で、全く要領をえないと思うが、映画”Young Adult”は、都会の病理的人間観察という点で、俺にとっては大変説得力のある映画だった。
 コメディということでたまたま手に取った1本だったのだが、たしかに笑えるところはたくさんあるが、私には腹を抱えては笑えない。
 それにしても、この映画の人間観察は秀逸だ。

 田舎出身で中途半端な都会に住む人間の蔑視観。差別観。犯罪と暴力観。いじめ。独りよがりと虚栄心。人権侵害と差別意識。自己演出と自己演技。さまざまな認識の違い。一言でいえば都会の病理と言えるのだろう。
 Mavis Garyがミネアポリスからマーキュリーに久しぶりに帰省し、マーキュリーの町中をドライブするときの蔑視感に満ちた彼女の顔つき。あれは、中途半端な「都会人」だからこその蔑視なのではないか。(本当の都会人なら、あのような蔑視観はもっと無自覚で、「洗練」されているのかもしれない。)Patton Oswalt演じるMatt FreehaufとのMavis Garyの高慢ちきな会話。そして、「あんたはthe hate-crime guyだったわね」というときのMavis Garyの人権意識のなさ。そのMattを人間としておそらく下に見ていたにもかかわらず、自分をさらけ出せる相手として、ボロボロになりながら、ようやく自分の意識を解放することのできたMavis Gary。
 そして、そんな彼女を演じたCharlize Theron*3

 映画「ヤングアダルト」の監督は、Jason Reitman。シナリオはDiablo Cody。

 ミネアポリスのことをMini Appleと誰も呼ばなくなったというようなサブカルチャー的情報は、どうでもいいことだが、俺は興味がありとても好きだ。
 また、Patrick Wilson演じる元の恋人のBuddy Sladeが、ウェイトレスの手間をはぶくためにカウンターにお酒を取りに行く場面で、Mavis Garyは、次のように言う。

So chivalrous.


 chivalry(「騎士道」)は、「(女性や弱者への)丁重な態度」を意味し、chivalrousは、騎士道精神を発揮して「親切ね」「優しいのね」ということになる。

 10代向けの小説のゴーストライターで、何もかも中途半端なアル中というMavis Garyの人物設定は、現代の都会の人間観察として、よく表現されていると思う。

*1:赤ちゃんのパーティで、赤ワインがかかってしまう場面。

*2:正確には、Mavis Garyが勝手に思い込んでいたということだろう。

*3:私はCharlize Theronの出演している他の作品を観たことがない。