河合隼雄さんについては、本多勝一さんの著書「子供たちの復讐 上 開成高校生殺人事件」「子供たちの復讐 下」で知ったと思う。
「子供たちの復讐」が出たのはいつだったか。
インターネットで調べてみたら、1979年のようだ。すでに30年以上も前の話で、わたしが高校英語教師になりたての頃に読んだということになる。「子供たちの復讐」は何度も読み返したが、河合隼雄さんの分析に説得された記憶がある。
だけれども、その後、河合隼雄さんの著作は全くといっていいほど読む機会をつくらなかった。心理学に関心がなかったわけではないけれど、時間貧乏の俺のことだから、読書をする時間があるのなら、英語関連の本を読んでいたのだろう。
今回、「子どもと悪 (今ここに生きる子ども)」(岩波書店)を読んでみたが、たいへん面白く読んだ。
たとえば、「悪と創造」という冒頭のところに、次のようにある。
現代日本の親が子どもの教育に熱心なのはいいが、何とかして「よい子」をつくろうとし、そのためには「悪の排除」をすればよいと単純に考える誤りを犯している人が多すぎる。そのような子育ての犠牲者とでも呼びたい子どもたちに、われわれ臨床心理士はよく会っている。
そのような思いが強いので、どうしてもこのことを最初に論じることにした。
それで、「1 創造的な人たち」という小見出しのところに、鶴見俊輔、田辺聖子、谷川俊太郎、武満徹、竹宮恵子、井上ひさし、司修、日高敏隆、庄野英二、大庭みな子の各氏に「あなたが子どもだったころ」と題して長時間のインタビューをしてみたという。「創造的な人たち」は、どんな子ども時代を送ったのだろうかということである。
これがすこぶる面白い。
何故かと言えば、「どの方をとってもお世辞にも『よい子』と呼べるような子ども時代を送っている人はいなかった。単純なレッテルを貼ると、不登校、盗み、いじめ、うそ、怠け、孤独、反抗、などなど『悪』のカタログができそうであった」と河合さんがいうから、気分がよいではないか。
みな聖人君子のようだったら、気持ちが悪いし、俺のようなものには立つ瀬がない。
たとえば、冒頭をかざる鶴見俊輔氏なんか凄い。
…お父さんは大政治家、お姉さんは一流の学者。というわけで、大変な「恵まれた」家庭に育ってこられたのだろう、ぐらいの漠然とした予想をもって臨んだ。
ところが予想はまったく裏切られた。「決戦また決戦」と表現されたような母・息子の凄絶な戦いのあげく、俊輔少年は自殺をはかり、カルモチンの致死量をのんで「渋谷の道玄坂をフラフラ歩いてたら巡査に捕まって、ビンタをとられてね」ということになる。中学生で当時の「カフェ」に入りびたりだったのだから、れっきとした「不良少年」である。これが「よい子」であるはずはない。
子ども時代の「暗い」思い出などという表現では不十分。それはまったくの暗黒である。しかし、その暗黒から鶴見さんの現在の創造的エネルギーが生み出されてきている、とも感じられるのだ。
大人も大変かもしれないが、子どもも大変なのである。
だから世間的にいう良家なんて、大変なものだ。
順風満帆にいく場合もあるだろう。けれども、順風満帆どころか、疾風怒濤という場合もあるだろう。同じ家族でも、姉のケースと弟のケースと違うということもあるだろう。予定調和的な計画など立てることはできない。簡単ではないのである。
河合隼雄さんの「子どもと悪 (今ここに生きる子ども)」(1997年)はすこぶる面白い本である。
感想をすべて書くことはできないので、また紹介してみたいと思う。
親、教師はもちろん、多くの大人に是非一読をすすめたい。