「(天声人語)有事に銃をとる者」

amamu2015-05-16

 以下、朝日新聞(デジタル版2015年5月16日05時00分)から。

 

この8日は、第2次世界大戦でのドイツ降伏から70年の日だった。当時の様子を仏紙は、若者たちが頭に旗を巻きつけ、勝利に熱狂してパリの大通りをジープで走り抜けたと書いた。そして、「それも当然だ。若者にとって危険は去ったのだ」(『廃墟〈はいきょ〉の零年1945』から)▼戦争が始まれば、駆り出されるのは若者だ。「平和な時には子が父の弔いをするが、戦いとなれば父が子を葬らねばならないのだ」。古代ギリシャの歴史家の言葉は、不変の真実を言い当てている▼集団的自衛権の行使を含む安全保障関連法案が、きのう国会に提出された。海外での自衛隊の活動を一気に広げ、「普通の軍隊」に近づける法案である。内容も進め方も、問題の多さは類を見ない▼近く審議が始まるが、拙速が心配される。論じるのは、何かあっても銃をとる立場の者ではない。政治家も識者も、当方ら言論人も。しかも人口の8割は戦後生まれで、戦争を肌で知る人は少ない▼「こんなに危険なことを、なぜ国民が反対しないのか。家族は不安でいっぱいのはず」。自衛官の母親の声を本紙が伝えていた。今の米国もそうだが、徴兵制のない国で、とかく「戦争」は一般国民とは関係のない他人事(ひとごと)になりがちだ▼「米国の戦争に巻き込まれることは絶対にあり得ない」と首相は言った。こうも易々(やすやす)と「絶対」という語を用いるものかと、言葉の軽さに驚いた。自衛官や家族はどう聞いただろう。政治家自ら戦うことは「絶対にない」だろうが。