「(政治断簡)負け犬?上等じゃないの 編集委員・高橋純子」

amamu2017-10-16


 一般紙は朝日を購読しているが、高橋純編集委員のことは知らなかった。
 多少ふざけすぎのきらいはあるが、気持ちはわからないではない。「政治は、言葉を手段とする営みである」にもかかわらず、「国会でも、選挙でも、その場しのぎの言い訳やごまかし、扇動、攻撃、分断の言葉ばかりが幅を利かせ、吐いたそばからゴミ箱に放り込むかのごとくの無責任が横行している。その究極が「国難突破解散」だろう」という指摘は、同感せざるをえない。
こうした選挙にはいくらかかるのか。
血税で600億円以上もかかるのだ。

 以下、朝日新聞デジタル版(2017年10月16日05時00分)から。

 国難災難非難GOGO総選挙、みなさまいかがお過ごしですか。ごあいさつが遅れましたが私、先月から次長を離れて編集委員に合流致しました。訂正ゼロ、炎上ゼロ、このオレを、守り抜く。オレ・フォー・オレの決意を新たに頑張る所存でございます。

     *

 いやはや。私とて別に好きでやっているわけではないのだが、ふざけずにいられないのはひとえに、ふざけんなと思っているからである。

 何のための選挙なのか、いまだにさっぱりわからない。それでもひとたび号砲が鳴れば、いやが応でも参加せざるを得ない私たちのトホホ。正々堂々と戦うことを誓いまーすって、あれ? 玉入れのカゴ、赤組のだけ大きくない?

 こんな不条理な大運動会が民主主義という広場で臆面もなく繰り広げられ、最後は勝ち負けという結果にのみ集約されてしまうことにおののく。勝ちさえすればいいのか?と問えば、それが民主主義ってもんさ、うまくしてやられて文句を言うのは負け犬の遠ぼえだよと、訳知り顔の人々に諭される不愉快。

 今夏の高校野球東・西東京大会、早稲田実業清宮幸太郎主将の宣誓を思い出す。

 「野球の素晴らしさが伝わるよう、野球の神様に愛されるように、全力で戦うことをここに誓います」

 1180人の候補者のみなさん、あなたは何のために戦っていますか? あなたの戦い、民主主義の神様に愛してもらえそうですか?

     *

 さて、勝つことと引き換えにされているのは、なんといっても言葉だ。政治は、言葉を手段とする営みである。主張。説明。議論。説得。ところがどうだ。国会でも、選挙でも、その場しのぎの言い訳やごまかし、扇動、攻撃、分断の言葉ばかりが幅を利かせ、吐いたそばからゴミ箱に放り込むかのごとくの無責任が横行している。その究極が「国難突破解散」だろう。

 政権を選ぶとかのはるか手前にある惨状。源流をたどれば当世のはやり言葉「リセット」「革命」に行き当たる。

 疑惑の追及をかわすため選挙でリセットを試みた人。上向かぬ党勢に音をあげ「解党」というリセットボタンを押した人。とにかく何でもリセットな人……。非歴史的で、前だけを見て、過去は力ずくで「なかったこと」にできると考えている節がある。政治家特有の「病」なのだろうか。

 人間は、当たり前だがリセットできない。だから他人の不信を買わぬよう大言壮語は慎み、説明を尽くす。歴史を参照して過ちを繰り返さぬよう注意する。それでも失敗した時は謝り、反省する。人生の負債をため込まぬよう、こわごわ生きていくしかないのだ。しかしリセットできると思えば、いま・ここ・わたしの欲望を解放し、大胆不遜に生きられる。ツケがたまってきたら、はい、リセット!

 選挙はリセットボタンじゃない。そんな簡単にリセットされてたまるか。負け犬? 上等じゃないの。民主主義の番犬となって、ギャンギャン遠ぼえを響かせてやれ。なかったことにはさせない。私は全然納得していないぞと。