「安田さんの妻「よくがんばった」 家族や仲間、安堵の声」

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 以下、朝日新聞デジタル版(2018年10月24日06時59分)から。

 シリアで行方不明になってから3年余り。フリージャーナリスト安田純平さん(44)が解放されたとの情報が23日、日本政府に入った。「よかった」「無事帰ってきて欲しい」。安田さんの身を案じていた家族やジャーナリスト仲間から、安堵(あんど)の声が漏れた。

 「今、ちょっと興奮して……。ちゃんとしたお答えができないくらい。みなさんにお世話になりました。ありがとうございました」「本当だったら、うれしい」。安田さんとみられる人物が解放されたとの一報を受け、母幸子さんは23日深夜、埼玉県入間市内の自宅で言葉を詰まらせながら話した。

 安田さんの妻で歌手のMyu(みゅう)さんは民放の電話取材に「びっくりしている。よくがんばったと伝えたい。日本で信じて待っていた人たちのことも伝えたい」と話した。行方不明の3年あまり、救出への悪影響を考えて沈黙を守っていたが、8月に都内で初めて会見。「家族として、妻として、一刻も早く帰ってきて欲しい。日本の地を踏んで欲しい」と涙ながらに救出を訴えていた。

 安田さんと親しいフリージャーナリストの常岡浩介さん(49)は「解放されたとの情報は確度は高いと思う。非常によかった。早く無事を確認したい」と安堵(あんど)した様子だ。7月に立て続けに安田さんとみられる動画が公開されたため、「犯人グループが安田さんを材料にしている証明で、情報が出続ける限りは解放は先だ」と見ていたという。

 交流のあったアジアプレス・インターナショナル代表の野中章弘さん(65)は「肉体的にも精神的にもつらかっただろう。強い精神力の持ち主の安田だからここまで耐えられたのだと思う。今は『お疲れ様でした』と言いたい」。

 イラク戦争などを取材してきた安田さんの経験や備えを「さすがだな」と思う一方、常に単独行動だったため、仲間内で「何かあった時のバックアップ態勢などで連携できれば」と話していたさなかの拘束だった。「今回の件は、戦地を取材するジャーナリストにとってひとごとではない。彼の経験をみんなで共有し、事故のない取材が出来るようにしたい」と話した。

何度か伝えられた消息

 安田純平さんは紛争地取材の経験が豊富で、中東を何度も訪れていた。過去に武装勢力に捕まったこともあったが、現場取材にこだわり続けた。

 1997年に信濃毎日新聞に入社。01年に米国で同時多発テロが発生し、アフガニスタンイラクでの戦争に発展していくなか、休暇を使って現地に通った。

 03年にフリーに転身。4回目のイラク取材中だった04年、武装勢力に拘束されたが、その後も紛争地入りした。

 12年夏にはシリア内戦で反体制派の「自由シリア軍」に同行し、砲弾が飛び交う前線の様子を取材。ジャーナリスト仲間で交流も深かった後藤健二さんがシリアで拘束され、15年初めに殺害された後は、「現場取材を自粛したり批判したりする空気が再び広がらないか心配だ」と危惧していた。同年6月、仲間に「トルコからシリアに入った。しばらく連絡を取れなくなる」と携帯電話で伝えた後、音信不通になった。

 3年あまりにわたって行方が分からなかったが、何度か消息が伝えられた。今年7月には、安田さんとみられる男性が家族に向けて、英語で「会いたい。あきらめないでほしい」などと語る動画がネット上に公開された。7月末には、2人から銃を突きつけられた状態で「今すぐ助けてください」と語る動画が投稿された。いずれも、拘束目的や身代金などの要求の情報はなかった。