ニュージーランド南部クライストチャーチのモスク(イスラム教礼拝所)で起きた悲惨な銃乱射事件後、同国のアーダーン首相がイスラム教徒への連帯を示す姿勢や銃規制強化などの迅速な対応で、世界中から高い評価を集めました。アーダーン氏はもうすぐ1歳になる女の子の母親でもあり、昨年は現役首相として産休を取得したことでも話題になりました。ニュージーランド社会が、アーダーン氏のように働く母親に寛容なのはなぜなのでしょうか。その背景を探ってみました。

 筆者も3月まで育児休暇を取っていました。その間、0歳と1歳の息子2人を連れてニュージーランド北部の小さな町にホームステイをした経験があります。スーパーで大声でぐずる息子を抱きかかえてあやしてくれた店員さんの温かさに助けられるなど、この国での育児を今も懐かしんでいます。一方で、子どもの人権を重んじ、14歳未満の子を家にひとりにすると罰金が科せられるといった法律もあって親は大変そう、というイメージもありました。

 東北公益文科大学ニュージーランド研究所長の武田真理子教授(社会政策)によると、ニュージーランドの子育ての歴史にも変遷があるとか。英国からの移民らによって建国されてから180年足らずのこの若い国では、厳しい開拓を生き抜くのに働いたのは主に男たち。その傍らで女性の主な役割は子どもを産み、育てることだったそうです。

 ただ、資源も人口も少なかったニュージーランドが国として発展するには、女性が社会の大事なプレーヤーとして尊重されることが必要不可欠となっていきます。1893年、世界で初めて女性の参政権が認められます。これを機に女性の人権を守ることはもちろん、女性への差別撤廃に向けた法律が制定されていきました。

 もう一つは、先住民マオリの存在でした。ニュージーランドは1840年、英国女王とマオリがワイタンギ条約を締結してできた国ですが、実態はマオリの文化や言語は失われ、植民地化が進みました。マオリの人々は主権の回復を求めて立ち上がり、土地戦争にまで発展しました。1980年代以降、マオリの権利は回復され、マオリ語も英語と共に公用語となりました。

 このときから、「多様性を認め、一人一人の価値観を大事にする」という考えが人々の間に根付いていったと、武田教授は解説します。この「一人一人を尊重する」という考えが、今のニュージーランドにおける働きやすさの土台となっているのだそうです。

 武田教授によると、もともとニュージーランドでは、バリバリと働いてキャリアを積み上げることが幸せだという発想自体があまりないといいます。そのため家事や育児、介護に加えボランティア活動といった「アンペイドワーク無償労働)」に従事することも尊重されるそうです。アーダーン氏のようにパートナーのクラーク・ゲイフォードさんに子育ての多くを担ってもらいながら政治家として活躍する人も、クラークさんのように働く妻を支える男性も同じように支持されるのだそうです。

 ちなみに2018年9月、アーダーン氏が娘への授乳時間を確保するために約600万円かけて航空機をチャーターし、太平洋諸島フォーラムを主催するナウル共和国に出席したという報道があったときも、国民は総じて支持したそうです。「皆がそうあるべきだという考えではなく、違う生き方をするひとを歓迎しよう、という考えが国民に幅広く根付いているのです」と武田教授は話します。

 子育てする女性が働くことも、「その人がしたいのであれば尊重する」という考えからきているのであり、「女性が活躍する=子どもを育てたあとも働き続けること」というのではないのです。ただ、子どもを産み育てた後も働ける環境は良いようで、日本の内閣府によると、ニュージーランドの女性の就労率は70・7%で、日本(66・1%)よりも高いです。

 ではニュージーランドでの子育てにはいったいどんな特徴があるのでしょう。現地の子育て事情についてのウェブサイト「こどもニュージーランド」を手がけるオークランド在住の佐井貴子さん(46)の話も交えながら解説してみます。

 まず、子どもの保育・教育に特に力を入れているニュージーランドでは「子どもを大事にする」という大前提のもと、就学前保育は単なる子守ではなく発達を促す教育だと考えられています。日本でいうところの幼稚園だろうと保育園だろうと、全国共通の保育カリキュラムを導入することで、保育の質が保証されるという仕組みになっているそうです。武田教授によるとこの共通の保育カリキュラムを使う施設が全国で5千カ所以上あるため、ニュージーランドでは待機児童というものが「ほぼいない」そうです。また、利用者は政府から直接補助を受けられるため、家庭の所得にかかわらず子どもたちは平等に同じ保育カリキュラムを受けられるのです。

 保育カリキュラムは、子どもの自主性や尊厳を重んじ、多様性を尊重しながら包括的な成長を促すというもので、ユニークなポイントとしては「集団行動をしなくてもよい」「個人の得意なこと、やりたいことを尊重する」といったものがあるそうです。

 佐井さん自身も9歳の息子を育てるなかで「他人との比較がなく、『一人一人違っていい!』と個性を尊重してくれる。親も先生もほかの家族やママ同士の比較をしないところがありがたいと思う」と話します。園の制服もなく、シンデレラのドレスやスパイダーマンの格好など、子どもたちは好きな服で登園するとか。また、「個人を尊重する」というのが大前提にあるため、子どもだけでなく親の時間も大事にする文化が根付いているため、0歳児から保育園などに預け、自分の好きなことをする親も多いと感じると佐井さんは話します。

 筆者はニュージーランド滞在中、乳児2人をベビーシッターに預けて語学学校に通っていました。そこで先生に、育児休暇中に学校にせっせと通うのはキャリアアップを目指しているのか、と聞かれました。先生は「あなたの働き方を否定するわけではないけど、そこまでがむしゃらに生きなくても、もっとのんびりしてもいいのよ。子育てももっとたっぷり楽しんでね」と諭してくれました。キャリアを求めて働き続けることだけが幸せではないよ、肩の力を抜いて良いのよと言われたようで、仕事を辞めてニュージーランドに移住したいと思ってしまいました。ただ、佐井さんによると、子どもは基本的に泣かせっぱなしにしない風潮があり、また短時間でも車内や家に一人だけにさせてはいけないため、「子どもは基本的に泣くもの」と思っていた者としては、驚きもありました。

 ニュージーランドの働くパパについても触れます。武田教授や佐井さんの話を総合すると、ニュージーランドでは仕事よりも家庭を大事にする人が多く、平日は遅くとも午後6時には帰宅。金曜は午前中に家に帰ってしまう人もいるそうです。家事は分担というよりも「みんなで一緒にやる」というのが基本スタイル。それを裏付けるようにニュージーランドの男性の家事関連時間は1日あたり約2時間半。女性よりも2時間短いですが、日本の女性が3時間45分、男性が43分(総務省の社会生活基本調査)に比べると、圧倒的に家事育児に従事しているのが見て取れます。また、男女の賃金格差は男性の給与を100とすると日本の女性は73・3なのに対し、ニュージーランドは90・8と小さく、育児休暇をとる男性が圧倒的に多いのもこうしたことが背景にあるからなんですね。(今さら聞けない世界)(今村優莉