「山田洋次さん「奇跡のような美しさと気品」 京さん悼む」

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以下、朝日新聞デジタル版(2019年5月14日20時48分)から。

 12日に95歳で亡くなった俳優の京マチ子さんは日本映画の黄金時代を支え、映画やテレビドラマ、舞台で長年にわたって幅広く活躍した。共演者や交友のあった人々、関係者からは悼む声が相次いだ。

 長年親交のあった演出家の石井ふく子さんはTBSを通し、以下のコメントを出した。「京マチ子さんとは長いお付き合いでした。テレビ、舞台でたくさんのお仕事をしたことを懐かしく思い出します。私と同じマンションにお住まいになっていたので、親しくさせていただき、煮物などお好きなものを調理するとお持ちして、召し上がっていただくような仲でした。気さくな方で、お友だちがよくお部屋に集まっていました。大女優さんとお呼びするにふさわしいお芝居をされる方でした。京さんのような方はもう現れないと思います。お声を聞くことも掛けることも、もうできないことをとても寂しく思います」

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 映画「赤線地帯」「浮草」で共演した俳優の若尾文子さんは「本当にびっくりしました。同じマンションに住んでいて、暮れや正月に石井ふく子さんたちとおせちを食べたりしていた。今年の正月に会ったのが最後です。京さんの肉体がとてもうらやましかった。今の若い人には珍しくないのかもしれないけど、脚が長くて胴がつまって短いから胸がよくみえる。私も京さんも亡くなっても不思議はない年齢だと思っていたけど、ショックです」と話した。

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 映画「夜の蝶」などで共演した山本富士子さんは「ニュースで知ってしばらく声が出なかった。プライベートではきちっとしていて、それでいて編み物がお好きで、とっても気さくで庶民的な方。三浦半島の別荘に泊まりがけで一緒に行ったりして、とてもかわいがっていただいた。最後に会ったのは6年前。どうしていらっしゃるかなと気にしていた。日本映画に素晴らしい功績を残された。ご冥福をお祈りしています」と語った。

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 京さんは映画「男はつらいよ」シリーズの第18作「男はつらいよ 寅次郎純情詩集」(1976年)で車寅次郎(寅さん)が恋心を寄せたマドンナも演じた。訃報を受けて、山田洋次監督は次のコメントを出した。

 「寅さん憧れの貴婦人として登場していただいた時の息をのむような美しさをまざまざと思い出します。その奇跡のような美しさと気品は晩年まで少しも変わりありませんでした」

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 舞台やドラマで何度か共演した俳優の長山藍子さんは「京さんというと、官能的で妖しくてつやっぽい女性というイメージがありますが、実際はとてもサバサバした方でした。小さなことは気にせず、裏表もなくはっきり意見をいう人でしたね。それでいてふわっと包み込むような温かさ。周囲を和ませてくれたのを覚えています」と話した。

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 映画評論家の佐藤忠男さんは「日本映画を世界に広めた功績者のひとり。三船敏郎と並んで日本映画の顔だった。日本の女優さんの場合、きれいに立っているだけの場合が多く、特に時代劇の中では女優が受け身になりがち。だけど京さんはいつも今、自分が何をやっているのかを分かっていた。『羅生門』で彼女は相手をにらみつけて、胸の中に飛び込んでいった。『雨月物語』で演じた女の幽霊にはうねるような力があり、くっきりとした印象を残した。それが外国で受けた。舞台出身だったから、非常に動きが明快で力強く、肉体そのものが活力にあふれていた」と往年の演技を振り返った。

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 美術家の横尾忠則さんは「京さんが主演したテレビドラマのタイトルバックを制作した縁で、お目にかかったのは40年ほど前のこと。大阪弁で驚くほど気さくな人で、包み込まれるような母性愛を感じました。最近は具合が悪く、僕が京さんの評伝の書評を書いた時(3月末)も、読む元気もなくて『もうあかんわぁ』と言っていたと、共通の知人から聞きました。肉体派といわれましたが、国際的な巨匠たちの映画の中で演技派として輝いた。日本を代表するスター女優として原節子と並び立つ存在でした」と惜しんだ。