朝4時に眼が覚めてしまった。仕方がないので、予習をする。
日本人が英語ができないのは、教師の力が大きい。英語も日本語も達者でないと、教えることはできない。UC Extensionの教員くらいの力があればと願いたいところだ。
UC Extensionの教員もいろいろで、現在3人の教員に指導されているが、1番力があると思うのは、若い教員のロッド(仮名)だ。ロッドには、教師の独りよがりがない。終始、生徒の方を見ながら、生徒を引っ張っていく。生徒をうごかすために、教員が動いている。ロッドの担当は、文法・作文だが、作文のテーマは的を得ているし、何回も書き直させて、添削してくれる。大事な点は、いろいろな角度から何度も反復して指導してくれるので、飽きないし、生徒がのって学ぶことができる。おそらくロッドが一番授業準備をしているし、添削タイピングなど、家で仕事をしているだろう。ロッドの指導なら力がつくと信頼できる。課題提起―点検という流れを教師がつくり、生徒もそれに納得するなら、教室内にgive and takeが生まれ、効果的な授業になる。
教師のジュディ(仮名)は、頭がよく、話はためになるが、生徒の学習動機が下がっても救ってくれないという意味で、give and takeが恒常的に生まれているわけではない。やる気のある生徒なら、力がつく教師というところだろうか。
ジム(仮名)は、独りよがりの教師で、私自身、退屈なことが少なくない。自分だけ勝手に納得して授業が進んでいく。課題がアトランダムで、指導体系がないような印象がある。
日本に帰って、再び私が教壇に立つとして、まず英語力がないとダメだ。oralという言葉はしっくりくる言葉ではないけれど、oralで指導できるくらいの力量をつけたいと思う。
また、指導体系がないとダメだろう。英語教育の指導体系を確立したい。
生き方としては、自分の思想の総括をしないといけない。
これまで、どちらかといえば八方美人で、人から人がよいと他人に思われたいところがあって、真剣に思想で勝負していないところがあった。debateを恐れ、弱かった。自分はやるけれど、人に対しては勧めないというところがあった。雰囲気だけで、事実をおさえず、なぜと突き詰めないところがあった。確信があれば、友人・知人からNoと言われても平気だろう。友人関係が壊れるものでもなし。対決を恐れず進んで行こう。自分は内弁慶のところがあるが、この内弁慶もやめたい。雰囲気でなしに、常に問題意識をもって、なし崩し的(without further debate)でもなく、自己を確立したい。
車の免許も、挑戦することに不安があり、面倒で、これまで免許を取ってこなかったが、挑戦を恐れず、車の免許も取ることにしよう。
最近は帰宅が遅く、外食ばかり。なかなか忙しい生活である。テレビを観る暇もない。