「速聴の英語」松本道弘(1983年)を読んだ

 「速聴の英語 聴けないから話せない」松本道弘(1983年/プレジデント社)を読んだ。

速聴の英語 聴けないから話せない(1983)

 アメリカ大使館で松本道弘氏が同時通訳の技術を学んだときに苦労したのがリスニングであったという。日本語は100%聴き取れるのに、英語の場合は半分しか聴き取れないときもあったため、日本語から英語への通訳には強かったが、英語から日本語への通訳には弱かったからだ。なるほど。

 「なぜ日本人は英語が下手なのか、その第1の理由は、リスニングが弱いからである」。「英語に弱い日本人、その最大のアキレス腱はリスニングにある。そして「読み」「書き」「話し」「聴く」の四つの能力のうち、「聴く」能力の強化を怠っているばかりに、他の3技能が伸びないのだ」というのが松本氏の持論である。

 英語がしゃべれる。しかし、聴くのはどうもという人は、暗闇に潜む敵に向かって、自分1人が光の中に立ち、白刃を握っているようなものである。自分の姿は敵にはまる見え、しかし、自分には相手の姿が見えない。これほど不安でかつ危険な状況はない。(p.12)

 松本氏の問題意識は、「ラジオ講座などの英語はよくわかるのに、外人同士の会話、映画の映画となるとなぜ勝手がまるで違うのか」ということだった。だから、「本物の英語は速い、不自然なほど速い。しかし、たとえ10%しか理解できなくとも、リスニングだけは「ネイティヴネイティヴによる、ネイティヴのための英語」を目指さなければだめだ」ということになる*1

 速聴とは、「英語を英語本来のリズムで聴くこと」であり、 「「速読」と「速聴」は連動している」という。だから、「「速聴」(ネイティヴの英語を、英語本来のリズムで聴く)とは、「耳で行なう速読」であり、あの「速読」は、「目で行なう速聴である」のだ」*2

 さて、それではアウトプットについてはどう考えたらよいのか。

 この点では、「英語を学ぶ人はネイティヴのようなスピードで話す必要はない。だが、リスニングのための英語は、スローダウンしてはならない」(シドニー在住のオーストラリア人英語教師)という意見が参考になるだろう。また、松本氏自身は、「「日本人英語」というのは、「あくまでも妥協のない必至の努力の結果として見たい」」と述べている。これも、納得できる話だ。

 さて、それほど重要な「速聴」なのだが、それでは、なぜそれが簡単にマスターできないのか。

 この点では、日本の言語環境としてなにしろ英語(米英語)なんて聞(聴)いたことがないというのが実態なのではないか。

 「音感教育に関しては、できるだけ早期に始める方がよい」という視点もうなづけるが、私のように中学校から学んだものはそうもいかない。

 また、学校英語のカリキュラムで、リスニングを鍛える授業の絶対量が足りないという指摘もその通りだと思うし、学校の英語教育にもっとリスニングを入れるべしというのも賛成であるが、まぁ、とにかく、実際の喋りなんて聞(聴)いたことがないというのが実態なのだと思う。

 こうした実際の実態や、開始時期や学校英語教育のカリキュラム以外の視点で、さらにいうならば、日本語と英語との差異であろう。

 日本語は、母音と子音の組み合わせの音の最小単位でいえば他の言語と比べてみて少ないほうだから話し言葉でいえば日本語は簡単だというのが定説である。逆に、英語のような最小単位の音が多い外国語を日本人が学ぶ際には多いに苦労することになる。

 わたしもよく授業で例として挙げるのが、マクドナルド。日本語では、子音+母音で、マ/ク/ド/ナ/ル/ドと、モーラは6つになるが、英語では、Mac/ Do/ naldと3音節になる。日本語では平板かもしれないがそれぞれ丁寧に発音し、英語では、強弱や弱強のイントネーションとリズムが大切になり、日本語と比べれば短く発音するイメージになる。松本氏が「強弱のリズムは英語の命だ」という所以である。

 たとえば松本氏が例に挙げているのは、「「リズム・アンド・ブルース」の「リズム」。日本語なら3音節だが、英語では1音節」というもの。たしかに、日本語の「リズム」と英語の"rhythm"は、似て非なるものである。

 また、「英語特有の「間」」についても、「間は魔」として以下の笑い話を紹介している。これは "broken down by sex" の箇所を読み違えることで起こる笑いだ。

The government sent out a questionnaire in which it asked;

"How many employees do you have, broken down by sex?"

A New Jersey firm replied:

"Very few. Liquor is more of a problem here."

 リーディングでもそうなのだが、英語に慣れていない我々は、英語を一語一語(word by word)に集中しないと読めないのが普通だ。だけれども、そのようには、母語話者が読んでいるはずもない。たとえば、松本氏が例にあげているように、"what you might call"などは「ひと息で発音するbreathing unit」があるし、「リズムの法則」 (rhythmic principle)というものがある。こんな難しい言い方をせずとも、母語話者には膨大なインプットから来る慣れというものがある。松本氏が以下の例を挙げているように、以下の文字面を見て、英語の音が聞こえてこないとすれば、それはインプットが足りないということになる。そうすると、松本氏が、これまた例に挙げているように「アナタハナントウツクシイヒトデショウ」と、型の古いロボットが単調にしゃべっているのと同じ、感情の起伏のないものになってしまう。

Shut up and listen.

Shape up or ship out.

Pack up and go.

Let's sit down and talk.

I'll sit back and watch.

I came up with a BRILLIANT idea.

 

 "Every language has a rhythm.""Language is music." "That's why when you learn a language, you must always learn it at the speed that it's spoken."と、松本道弘氏がNHK番組でインタビューしたジュディー・アントンさんがいうように、コトバにはスピードとリズムが重要なのだ。そのためにも、パワーが必要で、パワー・スピード・リズムはなにしろ言語活動に重要ということになる。

 もうひとつ。

 なるほどと思ったのは、「私の「ディクテイション」というのは、ポピュラー音楽を繰り返し聴き、最初はまるで聴けない音を聴き取れるようにすることだった」というお話。

 わたしも洋楽が好きで、歌詞カードをにらめっこすることが少なくないのだが、歌詞カードなしでポピュラー音楽に挑戦するというトレーニングだ。これはあまりやったことがない。だから、これは挑戦的だ。

 それで、楽しく読んだのが、オリビアニュートンジョンの「フィジカル」についてのお話。

 大ヒットしたオリビアニュートンジョンの「フィジカル」は、リスニング教材として最高だと判断し、同時通訳、速読、ディベートの各クラスなどでよく聴かせた。ところがこの新曲が、なぜアメリカのある州で禁止されたのかと質問してみても、手をあげた人は一人もいなかった。

 (中略)

 「フィジコ(Physical)が聴きとれないと言って悩む者(3,4級)から、「バリトー」(body talk)がわからない(2、3級)から、「レミヒアーヨバリトー」(Let me hear your body talk)が聴きとれずに嘆く者(1級)から、「アンニモーレンミー」(the animal in me)だけが聴きとれぬと言ってくやしがる者(高段者)と、ヒアリングの悪さの嘆き方一つで、その人の英語道ランクがわかるからおもしろい。(p.70-p.71)

 

 「何回聴いても、なぜ禁止されたのかその理由がわかる日本人がだれもいない」*3なかで、3人のアメリカ人に同じ質問をしたら、”Tried to keep my hands on the table. It's getting hard this holding back."が禁止された理由と答えたものの、1回目は聴き落としたというのが "You gotta know that you're bringing out the animal in me"だという。2回目にこのアメリカ人講師もニヤリと笑ったという。

 私は、活字を読むまでこの箇所だけが聴きとれなかったので、さすがにネイティヴには「負けた」と思ったものだ。自称英語道5段と言っている私だが、ネイティヴに絶対勝てないのは、この聴きとり能力である。

 オリビアニュートンジョンの「フィジカル」は、最近の流行歌だから知っているけれど、他に紹介しているアーティストは私には馴染みのないものが少なくなかった。

 松本氏とわたしとでは、世代がすこし違う。名前くらいは聞いたことがあるけれど、松本氏が慣れ親しんだプレスリー(Elvis Presley)やパティ・ペイジ(Patti Page)*4の唄はよく知らない。

 馴染みがあってもなくても、松本氏の奨励する何度も聴いてディクテーションをするポピュラー音楽のディクテーションはおすすめだろう。

*1:本場の英語の恐しさに関する故松本亨博士の述懐を、松本道弘氏が次のように紹介している。「わたしがアメリカの大学にはいって、いきなりめんくらったのは、教授の講義が、全くわからなかったことでした。日本にいるときは、アメリカ人の先生の言うことはわかったし、会話もできたのに、本場で、講義がわからないというのは意外でした」(「英語の新しい学び方」講談社現代新書

*2:本書第3章「速聴と速読」のところで「私の経験によれば、リスニングを強化するには、速読がきわめて有効で、リーディングを強化するには速聴が大いに役立つということが言える」と書いている。

*3:松本氏は、兵庫県尼崎高校の英語の先生方の前で聴かせ同じ質問をしたが、答えは同じだったという。

*4:たとえばPatti Page "The Old Cape Cod"(1957) 。松本氏が2級の頃よく聞いていたという。この時点で5段を自称している松本氏がトランスクライブしてみても、"Winding roads that seem to...のあとがpick on かよくわからないと、「5段を自称する私でさえ1部よく聴きとれない箇所があるのだから、リスニングの道は遠く険しい」と「速聴の英語」で書いている。p.216-p.217