シドニー在住のイギリス人と話をする

 シドニーから、オークランドに行く便で、隣に座った男性と話をした。
 彼は、ロンドン生まれのロンドン育ちで、現在は、シドニーに長年住み、オークランドには妹が住んでいるという。なんでも商用の会議に参加するためにオークランドに行くらしい。
 英語圏の中での、いわば彼は都落ちであるが、こうした都落ちする人たちは少なくない。
 カナダ、オーストラリア、ニュージーランドといった英語圏の中なら、英語でコミュニケーションが取れるから、気持ちひとつで決められるのだろう。英語という言語侵略の歴史がある言語だから、選択肢が多いと言えるのだが、選択肢が多いこと自体は、一般論でいうならば、うらやましい限りだ。
 おそらく、お国自慢、ふるさと自慢は、どこでも共通だろうから、ふるさとを離れた奴は、ふるさとを多少けなすことになる。
 ロンドンは、大都市で何でもあると、彼はいわば定番の意見を述べて、私に「ロンドンに行ったことがないなら、是非一度行くといいよ*1」と言いながらも、ロンドンは寒いし、リゾートビーチがないということになる。
 20年も昔のことだが、彼は二年間、東京にも銀行員として住んだことがあるという。私も、お国自慢と、自分のふるさとを少しけなすことにもなって、「東京は混沌*2としている(chaotic)でしょう」と私が多少批判めいて東京のことを言うと、「混沌の中にも秩序があるね」と、彼はうまいことを言った。なるほどね、混沌の中に秩序がある。言われてみれば、そうだ。彼は、魚介類でも、ウニ以外は大丈夫という日本通のようだから、日本のことをよく知っている。
 たとえば彼の言う東京の秩序の話で面白かったのは、車のライトの話だ。東京の夜で、信号機の前で車が止まるとする。運転手はみなヘッドライトのスイッチを切る。誰が始めた風習かわからないけれど、東京では、みなそうするのだと。「何故だと思う」と彼が日本人の私に聞くので、「バッテリーを保持するためでしょう」と私が答えると、「歩行者や他人に対する運転手の配慮だと思うよ」と彼は言った。誰が始めたのか知らないけれど、東京じゃ、みながそうした暗黙のルールに従っているし秩序だっていると、彼は再度強調した。
 おそらく彼はこの話を何度も彼の友人に、日本社会論として紹介したに違いない。日本人は他人に対する配慮があり、秩序のある社会だと。
 日本社会のことを「他人への配慮を優先する社会」("We’re OK; therefore,   I’m OK-society") (Matsumoto)と喝破したのは、松本道弘氏だが、これは、日本人の、他人に対する配慮や、いい意味での集団主義のことを表現しているように思う。
 「私がいい状態だから、私はいい状態なのだ」(I’m OK; therefore I’m OK.)というのは、言うこと自体に意味がなく、当たり前の話だ。「我々がいい状態だからこそ、私もいい状態だ」という定義は、だから、他者に対する配慮が重要な社会であるということを言っている。
 しかし、大変残念なことにと私はあえて言うが、この素晴らしい定義も、今は昔の感がある。大体、私の横に座っているイギリス人は、20年前の東京の体験のことを言っているわけだし、松本道弘氏の定義だって、かなり昔のものだ。残念なことに「他人への配慮を優先する社会」の実態は、色あせはじめている。
 日本は少し変わった面白い社会でもあるけれど、こうした他人に対する配慮のあった優しい社会だったのに、今は、まるで変わりはててしまって、ますます弱肉強食的な社会になりつつある。これはアメリカ病にかかった政治家の仕業だ。われわれの社会が、超金持ちと貧乏人と超貧乏人の二重構造になっても構わないという政策のあらわれに違いない。これを政治の貧困と言わずして何と言おうか。
 ところで、東京に住んだこともあり、ニュージーランドに何度も出かけている彼でも、日本語の母音とマオリ語の母音が似ていることは知らなかった。日本語もかじったことがあると言っていたが、やはり、世界ではかなりの程度に英語が通じてしまう彼らは、外国語を真剣に学ぶ動機づけが希薄であるというのは、一般論として当てはまるようだ。
 けれども、イングランド語が、ウエールズ語やスコットランド語を侵略し、アイルランドゲール語も侵略し、世界的にも侵略していって、今日のような巨大な英語圏を広げていったという英語侵略史を私が展開しても、イギリス人の彼とは、普通に議論ができる。こうしたドライな点は、いつも感心せざるを得ない。
 日本人の素直さ(sunao)を美徳と考える考え方は、批判すると嫌われるので、批判しない(non-critical)ということだが、これからの世の中は、批判的でないといけない(critical)という点で、私たちの議論は一致した。
 彼は実業家らしいが、自分のことを実業家としては本流でないと言っていたから、英語教師として本流でない私と、妙に気が合ったのかもしれない。

*1:現在のような巨大英語圏を確立した侵略的なイングランドを、私は英語圏の中では最後に訪問しようと大分前から考えている。アイルランドを家族で自動車旅行をしたことのある私だが、その際もロンドンへは立ち寄っていない。

*2:建築家の安藤忠雄氏が、東京の都市のつくりについて、カオス的で混沌としていると評したことがある。