長年仕事を共にしたオーストラリア人元同僚の特別講義を聴いた

 今はオーストラリアに帰ってしまっていて、ドイツ語の教師をしているが、日本にいるときは英語の教師として長年いっしょに仕事をした元同僚が、いわば古巣に遊びに来て、うちの生徒たちに話をしてくれた。これが全くのボランティア活動なので、大変にありがたいことだ。
 すでに大学進学が決まっている生徒たちに、長年日本に住んだ経験からオーストラリアと日本との違いについて話をしてくれることになったのだが、これは私が担当している授業ではない。私の授業ではないけれど、担当教員のお誘いもあって、その授業にお邪魔することにした。
 私の元同僚が、うちの学校を去ったのは、私がアオテアロアニュージーランドに滞在していた2004年度のことだ。だから私は彼のお別れ会にも出ることができなかった。私が海外研修から戻って来たときに入学してきた生徒たちが、今年はもう卒業の時期を迎える。だから、私の元同僚と、今日彼の話を聞く生徒たちとの接点はない。
 冒頭、彼は最初ドイツ語で話をし、その後、英語に切りかえた。彼は日本語も話すが、今日の話は英語だ。
 それで、話は自己紹介から始まり、日本とオーストラリアの文化と社会の違いについてと話が続いた。
 ステレオタイプかもしれないがと彼自身断りながら、オーストラリアは、個人が重要(Individual is important)な個人尊重文化(Individual culture)である。自分のことを自分で考えないといけない(think for myself)。自立(Independent)的だけれど、悪くすると、利己主義(selfishness)で、非協力的(uncooperative)になってしまう。一方、日本では、集団が重要(Group is important)であり、いわば集団尊重社会(Group society)である。合(harmony)が大切で、集団のことを考える(think for the group)ことが求められるが、悪くすると、物事が決まらない(no decision)、指導性・決断がない(no initiative)ことになってしまう。
 また言語の点では、英語の学習者のことをいえば、読む力、語彙力、文法力、勤勉さという点で、日本人は優れている。その一方、リスニングやスピーキングが弱く、自信がない(no confidence)という問題点がある。
 だけれども、これは仕方のない面もある。
 というのも、英語でいうところのmother(母、マザー)は、オランダ語だとmoeder(ムダァ)、これがドイツ語だと、mutter(ムッター)となる。オランダは、地理的にいって、イギリスやフランス、ドイツに囲まれているので、また、言語的にいっても、互いのコトバが似通っているので、英語の得意な人はたくさんいる。その点、日本は、周囲を海に囲まれているので、言語環境として世界から遠いというような彼の話を聞きながら、私も考えてみた。