朝日新聞を読んでいたら、横浜市で小学生の英語教育が始まろうとしているとの記事が掲載されていた。
現状では、私は小学生の英語教育に基本的に反対である。
それは、今の日本では、まず日本語できちんと考えることができて、日本語で自分の意見を表現できる生徒を育てることが大切であると思うからだ。
つまり、私には、今の日本の子どもたちは母語がきちんとできていないという現状認識があり、英語より日本語の優先順位を高くすべきだと考えているのである。
これは、今日の中学生、高校生、大学生に日本語による作文を書かせてみたらわかると思う。国語の入試問題というと内容理解の四択による選択問題ばかりをやらせているから、まるごとの日本語を書く訓練ができていない。
また、これは前にも何回か書いたけれど、この3月末に日本に帰国してからというもの、自分の日本語が生徒に通じなくて困ったことが幾度とあった。これは生徒に背景的知識が不十分で内容的に彼らが知らないという原因が一番なのだけれど、その一方で語彙力の問題もある。
たとえば、「勉強でも運動でも『緊張と弛緩』が重要です」なんて話を高校1年のクラス全員にしたら、「弛緩」を「痴漢」と聞き間違われて生徒に笑われてしまった。たしかに「弛緩」はかなり難しい語彙だし、私が話しコトバに使用したことは不適切でもあったろう。それでも、いろいろな具体的な話をした上で、そのまとめのコトバとして、私は「弛緩」というコトバを使ったのだ。文脈上、チカンなんて話がでてくるわけがない。
英語の文法説明など、わかりやすい授業をめざして、25年以上も私は教壇に立ってきたのだけれど、昔の生徒なら、なるほどと膝をたたいてくれた私の授業の説明が、授業後、数名の生徒に聞いてみたら、私の話は「高級」すぎてむずかしいと言われてしまって、こちらが驚いた。
私の職場は大学の附属校で、相対的にいえば、生徒の質は高いほうである。
日本全体の学力低下問題は、私の実感でもある。