オーストラリア留学を控えた教え子の大学生たちが遊びにきた

 今日は、自宅研修日。

 午前中、娘の予防注射で病院に行く。

 午後から、大学生になった2人の教え子が遊びに来る。

 彼らのオーストラリア行きもあと10日後とのことだ。

 彼らは、この間、わたしに留学相談ということで何度か遊びに来てくれていた。

 相談の最初のころは、英語圏ならどこへ行くという話だったが、ひとつの選択肢としてオーストラリアも候補地にしてよいのではないかという私の助言に対して「先生、オーストラリアだと、オーストラリア訛りが身についてしまいませんかね」なんていうつまらぬ心配をしていた。この懸念にたいする私の返答は、日本語とか英語とか、総括的かつ抽象的に言語を呼んでいるけれど、コトバというものは、そんな総括的・抽象的なものはなくて、関西弁とか東京弁とか、彼女の日本語、俺の日本語と、もっと具体的・個別的なものですね。日本人の英語学習では、統語論の違いから、「語順の征服」や「理解のともなう音読」が難関であって、オーストラリア訛り(accent)を体得するくらいの到達度ともなれば、「理解のともなう音読」も「語順の征服」も達成しているレベルであり、それはもう、短期留学としては、かなりの到達度が達成できたといえるのではないか。つまり訛りまで身につけてしまったとすればそれは喜ぶべきことであり、訛りが身についてしまいやしないかと気にするということは、木を見て森を見ず、枝葉末節の話ではないか、というような話をした。

 そんなことはともかく、これから外国で暮らして学ぼうとする大学生を眼の前にして、この4月からは職場でも仕事の関係で多忙をきわめ、昨年以前は、日記もほとんどイギリス語で書いていたのに、そんな余裕もない日常を送っている自分を振り返らざるをえなかった。

 英語のちからをもっとつけないといけないと思っているのに、それもままならない。

 ただ、今日、2人の大学生とクイズ番組を観ていたのだが、かなりゆっくりと聞こえるようになっている。以前より、力はついているのだろう。もっと集中して仕事をしたいものだ。

 2人の大学生を眼のまえにして、そんな夢みたいなことを考えた。