"Randy Newman At the Odeon"(1982)
最近、通勤時間にはランディ=ニューマンばかり聴いている。
彼らの語感に迫りたいと思う。ユーモアもそのひとつだ。
ランディ=ニューマンのビデオ(VHS)、たとえば、"Randy Newman at The Odeon" (1982)を見ていると、たとえば、Burn On では、"but Lord can't make you burn"のところで、観客は笑う。また、Political Science では、"We save Australia"のところで、観客は笑う。これは、タタミカケて、タメて、切り返したところで笑っているのだ。
これらの唄は、自分なりに理解していたつもりだった。けれども、彼らの世界にどくくらい入り込んでいただろうか。こころもとない。少なくとも、おれは紹介した2か所で笑っていなかった。
ほかにもある。
My Life Is Good でも、"My life is good"の箇所で、観客は笑っている。これは言い張っているからおかしいのだろう。
Short Peopleでも、"pick up to say hello"のところで、観客は大笑いをする。
ランディ=ニューマンの唄が皮肉に満ちているのは理解していた。けれども彼のユーモアをどれほど俺は、理性ではなく、感性でわかったいたのか。
もっとランディ=ニューマンのユーモアに迫りたいと思っているのだが。
Redneck も、南部人の複雑な少し屈折のある唄なのだが、まだメッセージの核心に迫ることができていない気がする。
思えば、このランディ=ニューマンのビデオを買ったときは、入手できただけでドキドキしたものだ。1983年の来日コンサートのときも、そうだ。ランディ=ニューマンに触れることができただけで、興奮していた。尋常ではないが、これからの世代は、もう少し、違うようにならないといけませんね。
昨日は、一日中、ランディ=ニューマンのアルバムを聴いていた。
Greil Marcus の"Mystery Train"のランディ=ニューマンの箇所を読んで大いに学んだ。
たとえば、Davy the Fat Boy の唄のイメージ。この唄のサーカスの見世物のイメージは強烈だ。そして、それを表現するランディの音楽的技法には脱帽せざるをえない。
また、Lonely at the Top。フランク=シナトラの唄だということは聞いていたが、まさか世界を股にかける有名人ということだけでなしに、さらに彼のカツラにかけているとは知らなかった。
また、Lucindaのメッセージとイメージ。
また、Underneath the Harlem Moon の唄の背景。ランディがこれをステージで歌わない理由。
また、Suzanne がこともあろうに、rapist の唄だとは。
全くよくわからない唄が、The Beehive State。これは州のイメージがわからないとわからない唄だろう。そして、Old Kentucky Home。この唄のおかしさがわからない。アルバム "Live"などを聴くと、観客は大笑いしているというのに。
なんとなくわかるようなわからない唄が、Linda, Let's Burn Down the Cornfield,そして Cowboy。
ランディ=ニューマンのアルバムでは、12 Songs, Sail Away, Good Old Boysが評価が高い。それは前からわかっていたことだけど。
ともかく、こうしたことを理解するには、母語話者に聞くしかない。
Lester Madoxとは何者か。
Underneath the Harlem Moon という唄の背景は。
ランディ=ニューマン論を書きたいくらいだ。それほどランディ=ニューマンはすばらしい。
ただし、問題は、俺の調査力と英語力ですね。残念ながら。