「日本語に主語はいらない」を読んだ

日本語に主語はいらない (2002)

 「日本語に主語はいらない」金谷武洋(2002)を読んだ。

 日本語では、「私はあなたを愛しています」はいわゆる翻訳調となり、「好きだよ」のほうが、日本語らしく、また自立している。ということで英語やフランス語では、人称代名詞は必要不可欠だが、日本語では、人称代名詞はいらないということになる。

 

 「日本語の基本文は数が少なく、かつ驚くほど短い。St-Jacques(1971)も言うように、以下の3通りがそれである」として次の例をあげている。

 (さ)名詞文: N-da (例:赤ん坊だ)

 (し)形容詞文: Adjective (例:愛らしい)

 (す)動詞文: Verb (例:泣いた)

 「英語は主語中心、日本語は述語中心」という中島文雄「日本語の構造 英語との対比」からの引用も著者は紹介している。

 また主語についても、英語やフランス語においては、主語が必要不可欠であり、また主語と述語という二本立ての構文論である一方、日本語では、「主語無用論」「主語抹殺論」を主張した三上章によれば、主語という概念は不要であり、述語のみの一本立てという構文論ということになる。

 著者が三上章を高く評価していることは明らかで、その点については「謝辞」にも、「本書は、実は机の上に2葉の写真を置いて執筆した。一つは故三上章の写真である。死んでしまった三上が弁明できない批判を三上に代わって論駁し、三上文法を擁護せんとしたのが本書の原点である」と書かれている。

 本書をたいへん面白く読んだが、同じく三上章氏を高く評価している本多勝一氏の「日本語の作文技術」など一連の労作が参考文献に紹介されていないのはなぜだろうか。