メールを待ちながら、今回の私の大学院選びをふりかえってみた

ブリズベンの戸外レストラン

 今日は月曜日。ブルーマンデーということで、働く人にとっては憂鬱な曜日であるが、私の方は働くということをすでに忘れてしまった。本音を言うと、こうした旅も、自分にとって大いに勉強になるので、私にとっては仕事であると思っている。それに自分で選んでやっていることとはいえ、旅という非日常性を考えると、結構疲れることも少なくない。とくに今回は、自分勝手に旅をしているだけならともかく、大学や大学院という相手に合わせないといけない点がとてもやっかいだ。
 さて、今朝、UQの先生からコンタクトが取れたとして、午後にでもUQで担当教授に会えれば、明日は晴れて世界遺産熱帯雨林を見にオライリーのゲストハウスに行けるという予定が組める。ラミントンは、ブリズベンから車で1時間50分ほど離れているが、今日中に用事を済ませられれば、問題はない。ということで、今朝も先方の教授からのメール待ちだが、何だか連絡が取れない予感がしてならない。
 ところで、若いときのことだが、私はアメリカ合州国に8ヶ月暮らしたことがある。だから今回の私の大学院選びに際しては、再度アメリカ合州国に行くという考えもあったが、むしろアメリカ合州国ではない視点で英語を考えてみたいということと、アジアとの関連で、オセアニアにしようと思っていた。イギリスもいつか行ってみたいとは思っているが、私にはある思いがあって、イングランドは人生の最後の方にとっておこうと思っているのだ。イングランドが英語発祥の地で、その意味では、英語はイングランド語と呼ぶにふさわしいのだが、そのイングランド語がスコットランド語やウェールズ語、そしてゲール語を駆逐したのだ。アイルランドを車で2週間ほどまわったときも、イングランドを意図的に寄らなかったのもそうした思いが私にはあったからだ。アジアの日本に生まれた私にとってイギリス語という言語は生活に全く関係がない。私にとってイギリス語はいわば不自然な言語であり、その意味では人工的な言語である。実際、その学習は抽象的にならざるをえず、多少なりとも英語というものに私は苦しめられた。その多少なりとも私を苦しめたイングランド語発祥の地、イングランドは最後の最後まで取っておいて、最終段階に訪問しようと若い時から決めていたのだ。
 それでオーストラリアのメルボルン大学にしようと思ったのは、コンピュータで英語を学ぶCALL(Computer Assisted Language Learning)の特化したプログラムがメルボルン大学にあるからであった。けれども、このオセアニアの学期は2月から12月初旬という時期が多く、日本の4月始まりとは全く相性がよくない。私としては何とか4月からの入学をお願いしてきたのだが、この問題で最後まで悩まされ、メルボルン大学も泣く泣くあきらめたのだ。
実はオーストラリアは日本語教育が盛んで、メルボルンホバートでの日本語教育をこれまで私は何回か見たことがある。ここブリズベンも日本語教育や学習が盛んである。何故日本語教育が盛んかというと、大英連邦の一員であったオーストラリアは、やはりイギリスとの関係が強く、イギリスの卵の殻をつけているような国なのであるが、今やイギリスとの貿易額よりも日本との貿易額の方が上回ってしまっていて、遠いイギリスとの関係よりも、近くの太平洋パートナーシップの方が経済的に重要になってきているのだ。白豪主義を捨ててマルチカルチャリズムの道を選んだのもそうした背景があるのだろう。経済的にみれば、「差別は損である」ということに気がついたのだ。実際、ゴールドコーストなどでは、日本語ができれば大いに商売に役立つ。ゴールドコーストにはかなり日本語の上手な人がいると、オーストラリアの同僚から聞いたことがある。以前わたしがブリズベンを訪れたときにも、片言だが、子どもたちから日本語で挨拶されたことは日常茶飯事であった。当時たしか全人口の700人に1人くらいの割合で日本語を学んでいると聞いたように思う。
 だからもし私がブリズベンで学ぶとしたら、フィールドワークとして日本語教育の実情視察を考えていた。日本語を学んでいる人たちとなら、外国語を学ぶ困難さを互いに共有できるのではないか、対等・平等の関係が築けるのではないかと思ってきたからだ。そうして実際にブリズベンに来てみると、フレンドリーな人は確かに多いけれど、私の観察では、アジア人に対する蔑視感も、予想以上にあるような気がする。ひとつはアジア人排斥の意識という明確な差別意識があるだろう。これは白豪意識につながっているのかもしれない。もう一つは、「蔑視観」というと正確でないのかもしれない。なんというのか、もっと意識下の問題で、アジア人に対して慣れていないとか、無知であることから来る軽い嫌悪感のようなものがあるような気がしてならないのだ。
 まず、ブリズベンが都会だということと、実際にアジア人がブリズベンに多いということが、これには関係しているだろう。サンドイッチをつくってもらうときなんかもそうだったが、まず「日本からの旅行客なんですが」と、私が一言いれると、やりとりがスムーズにいく。アジア人が多いので、先方も、こいつはどういうアジア人なのか、とまどってしまうのだろう。顔つきだけでは、オーストラリア人として育てられた移民の何世かもしれないし、移民ではないけれど英語をよく話すアジア人なのかもしれないし、最近オーストラリアに来た英語を話せないアジア人なのかもしれない。その辺が、よくわからないから、英語文化のルールからはずれたアジア人の行動を見るにつけ、何なのこの人たちはという誤解が生じるのではないか。そんな感じがするのである。
 もう一つは明確な蔑視観である。オーストラリアは、白豪主義をやめて、イギリスよりも日本との貿易額が多くなって以来、マルチカルチャリズムの実験をやっているわけだが、それでも、プアホワイトからすれば、アジア系、とくに金持ち日本人に対する蔑視感は潜在的にあるだろう。ここブリズベンから遠くないところから出たある有名な女性代議士は、露骨にアジア蔑視を主張して当選したくらいなのである。
 このポーリン=ハンソン氏は、ブリズベン郊外のイプスゥイッチ(Ipswitch)出身で、アジア系労働者に対する蔑視を露骨に主張することで政界におどりでた人物である。ワンネーション党という名前だったが、アジア系労働者に対する白人低所得者層の嫉妬心をくすぐりながら、ここクイーンズランド州でかなり議席数を伸ばしたことがある。白豪主義の再来かと危機感を感じた良識派から批判を浴び、一時はハンソン女史一人だけの政党となり、ワンパースン党と揶揄されるまで落ち込んだそうだが、経済的な危機が訪れると、ヨーロッパのネオナチのように、極端な主張をもった政党が支持を集めるものなのであろう。
 だからクイーンズランド州で日本語学習が盛んだといっても、あくまでもそれは商売上の皮相的な動機なのであろう。日本人が英語、英語と騒ぐのと、あまり変わらない。双方とも、異文化に対する深い敬愛の念というものとは、あまり関係がないに違いない。ところで、道具論としては、それでよいのだと主張する人たちがいる。英語や日本語がビジネスラングエッジとして必要なので、英語や日本語の文化や教養など関係がない。実際、文化や教養なんてと言っていると、実用として役立つものも得られない。二兎を追うもの一兎を得ずということだ、と。けれども果たしてそれでいいのか、私にはやはり疑問がある。語学学校ならいざ知らず、学校教育というならば、現代の学校で平和と人権というテーマは欠かすことができない。それぞれの個性や民族を尊重しながらも、どうしたら世界の人たちと仲良くなれるのか。そのために言葉の教育が果たす役割は大きい。英語を教えるといっても、その内容は簡単ではないけれど、単にコトバができるようになればよいというものではないし、またそんなに簡単にできないのがコトバの学習なのだ。母語や外国語をどうとらえるのか、植民地主義的・従属的でない、対等・平等の関係をどうつくるのかという教養を理解することの重要性はいよいよ増していると思うのである。
 ビジネスばかりを考えては、バランスが悪すぎる。そういえば、このブリズベンという街のつくり方の醜さは、東京の街の作り方の醜さとも似ている。いい建物もブリズベンにはたくさんあるのに、それを無視して、ビルが乱立しているからだ。ビジネスを中心に考えてしまうと、こんな風な美的にも均衡を欠く街になってしまうのだろう。
 そんなことを考えながら、宿から近いグローバルゴシップ(Global Gossip)というインターネットカフェに向かう。このインターネットカフェは、今まで行ったインターネットカフェの中では一番洗練されている。まず、初回に会員カードなんかを渡されたりする。かかっている音楽のセンスもいい。大体、日本語の入力方法はJapanese IMEだが、ここは特にメンテナンスがよくて、使いやすい。日本語の使わせ方が洗練されている。今日はここが私の仕事場になる。
 ということで、今日もダラダラとブリズベン市内のインターネットカフェにいるのだが、教授と連絡が取れなかったら、取れなかったで、オライリーの方を選んでしまう気に私はなっていた。メールチェックをすると、ワイカト大学(The University of Waikato)の図書館の司書の方から返事が来ている。彼のメールで紹介されていた「ニュージーランドのミドルタウン」という本を私はすでに読んでいた。メールの内容からすると、ワイカト大学(The University of Waikato)のTESOLが4週間というあまり本格的なプログラムではない点が気がかりである。この点について質問のメールを出しておくことにしよう。
 娘からもメールが来ていて、私の娘が通っている大学で昨年一年間、客員教授をされた教授がワイカト大学にいることがわかった。その教授の奥さんも娘が通っている大学の出身者で、ワイカト大学(The University of Waikato)で仕事をしていることもわかったので、彼女にメールを出すことにした。なんだか、風はワイカト大学に向かって吹いているようだ。
 実は最初に行きたかったメルボルン大学とのいきさつだが、昨年の7月からメールのやりとりをしていて、私の4月からの学習開始を担当教授は認めてくれていた。合格通知もとっくにもらっていた。ところが、学費を払う段階になってクレジットカードの情報をメルボルン大学に知らせる際に、あらためて4月からの途中入学を確認すると、そんな異例なことは今まで認めたことがないと事務方から言われ、1学期ではなしに2学期からの入学をお願いされてしまった。古典的な教員と事務方のズレになるのかもしれないが、私からすれば土壇場のキャンセルである。ところが、カリキュラムを見ると、1学期に基礎科目が比較的置いてあって、2学期は、その上に立った科目が主に設置されているなど、2学期からの開始は不可能ではないが、私としてはよしとできなかったのだ。4月からの途中入学を認めてくれるような柔軟さがメルボルン大学にあれば、メルボルンにしたのに残念であった。それに次いで、クイーンズランド大学(UQ)も、教授との約束も取りつけられないままである。ワイカト大学(The University of Waikato)の方は、関係者からメールが次々に来て、問題がないというのに。今回の旅で何回かあったのだが、何か運命的なものがあるような気もする。娘の大学とも関係があり、娘からワイカト大学の担当者のメールアドレスを教えてもらうなんて、これも何かの縁かもしれないと私が思っても不思議ではない。
 さて私は写真撮影はうまくはないが、デジタルカメラは好きである。私のような初心者でも、その場で、あるいはその後に、どの程度のものが撮影できたのか確認できる点が気に入っている。512MBのデジタルカメラメモリーカードがもうすでに一杯なので、ニュージーランドのロトルアですでに一回CDに焼いてもらっていたのだが、「一枚焼くのにいくら」と聞くと、8ドルということであった。空のCD代金も入れると10ドル。日本円で約800円だから、オーストラリアでも、バックアップとして焼いてもらうことにした。このインターネットカフェの黒人の若い女性ともう一人の白人の男性はいつも笑顔で対応してくれる。とてもいい感じの人たちだ。
 娘から教えてもらったワイカト大学の教授の奥さんへのメールとして、自己紹介を中心に次のようなことをインターネットカフェで書いた。ある種の売り込みなので、日本なら、あまり宣伝しないようなことも英語だとどうしても書く傾向が出てしまうのは仕方がない。
自分は長年高校で英語を教えてきて、教科書づくりにも参加している。大学で3年間教えたこともある。今年一年はサバティカルで、メルボルン大学クイーンズランド大学(UQ)からすでにOKの返事をいただいているが、さらに自分に合っている大学があればと、現在、7月から通う大学を探している。大学生の娘もニュージーランドの大学で学びたいということで、カンタベリー大、オタゴ大、オークランド大と大学をまわってきた。私は英語教育が専門だが、英語教育の意義についての考察や、社会言語学の方にむしろ興味がある。植民地主義的に英語を教えることに対しては批判的な立場なので、マオリの言語政策、とくに二言語政策に興味がある。しかしながら、同時にCALLにも興味がある。というのは日本人の英語学習者は母語話者の援助を必要としていて、膨大なデータが活用できるならば、母語話者の代わりにコーパスの活用にも意義が見出せると思っているからである。それが、日本人が自立的に英語を学習できることにもつながっていくのではないかと確信している。また当然のことだが、英語文化圏にも、英語教師として興味がある。具体的には、アイリッシュスコティッシュウェルシュというエスニシティや、オーストラリアやニュージーランド合州国への移民政策に関心があり、英語文化圏内の文化性をもっと深めたいと考えている。
 こうしたことを主旨としてメールに書いて送った。