インターネットカフェとインターネット環境

インターネットカフェ

 インターネットカフェが日本で、はやらないのは何故なのだろう。
 オセアニア、例えば、オーストラリアのメルボルンやブリズベンなら、インターネットカフェを探すのに全く苦労はいらない。これは誇張でもなんでもなく、歩けばインターネットカフェに遭遇するのだ。値段はまちまちだが、こうしたカフェでは、デジタルカメラのデータの入ったデータカードで、CDまで焼いてくれる。タスマニアホバートでも、インターネットカフェは探せばいくつもあった。ニュージーランドも、オークランドはもちろん、クライストチャーチ、ロトルア、ハミルトン(キリキリロア)では、全く問題なく探すことができた。歩けばインターネットカフェにぶちあたるのだ。エイブルタズマン国立公園近くのネルソンにもあったし、その昔インベーダーゲームが入っていたガラスの机の中に格納されているような単体のインターネット環境なら、モトゥエカという、やはりエイブルタズマンへの玄関口である田舎町の安モーテルにもあった。壊れて使用不可の場合もあったけれど、地方の空港にも一台くらいは置いてあるのが普通だった。
 今はインターネットが必要不可欠な時代だが、電話回線を使っていた頃から、インターネット環境は、アメリカ合州国や、それに続く日本の独壇場だったはずだ。デジタルディバイドというのか、インターネットが便利といっても、通信相手も高額なマシンを買えるほど裕福でなければならない。電話回線だって、整備されてないといけない。高額なマシンと電話線を両手に持ちながら、西側から収奪され、明日の食事をどうするのかという人間に対して、「君も、こいつを持つと、かなり便利なんだけど」と言っても、それは意味をなさない。その昔、日本でもインターネットが盛んになりつつあった1990年代初頭、私はインターネットのもつ可能性に感動しながらも、「鉛筆と紙も偉大だ。電気がいらずに書くことができる。そうした重要性に我々はもっと気づくべきだ」とか、「電子メールも素晴らしいが、旧メールシステムも素晴らしい。これほど安い値段で、世界の各地に手紙が届くことを偉大と言わずして何と言おう」と、認識を新たにしたものだ。
 それにしても、電話が嫌いだということもあるけれど、メール環境なしでは生きていけないところまで、私のメール依存症はすすんでしまった。コンピュータなどの機械が苦手な私でも、マシンの環境整備につとめないといけないくらい、私のメール依存症は進んでしまっている。
 そういう私にとってオセアニアのインターネット環境ほどありがたいものはない。インターネットカフェはまるで私の事務所状態だ。ここで、メールチェック、書類のプリントアウト、デジタルカメラのデータ処理、もちろんブラウザを使っての調査もできるし、今回、こうして日記を書いているのもインターネットカフェのおかげなのである。ノートパソコンを持ってきてはいるけれど、まだインターネットにつなげられていないから、まさにリアルタイムでこうした日記が書けるのは、オセアニアインターネットカフェのお陰といってよい。
 もう12年も昔の話だが、1992年、オンラインで知り合った現地の小学校や高校の教員たちと私的に交流するために、アメリカ合州国の西部自動車旅行に出かけたことがあった。当時、これをオフラインミーティングオフミ)と呼んでいて、そのオフミの海外版であった。そのときもノートパソコンを持参したのだが、自動車の運転で町から町へ移動することに忙しく、またインターネットの技術的なこともわからず、一度もつなげずに帰国したことがあった。それが今、インターネットカフェの存在によって、まさに隔世の感がある。
 オセアニアインターネットカフェは、ここハミルトンはかなり安くて、1時間ほど使って、3枚くらいプリントアウトしても、3ドルほどだ。自分でつなげる苦労も必要なく、それなりの管理者がいて、インターネット環境を与えてくれる。インターネットカフェは本当にありがたい存在なのだ。
 ところで、再度疑問だが、電子立国を豪語する日本に何故、こうしたインターネットカフェがないのか。
 よくわからないけれど、いくつか理由があるのだろう。インターネット環境が家庭や会社、学校にかなり浸透しているので、地域で民間のインターネット環境が必要ないからだろうか。けれど、これを主な理由にはできない。オセアニアだって、各家庭や会社、学校にインターネット環境は浸透しているからだ。やはり需要と供給のバランスだと思うのだが、オセアニアの都市には移民が多いことや少なくとも表向きには外国人を歓迎していることと関係があるかもしれない。日本からは少ない印象があるけれど、インド、中国、韓国。ハミルトンのインターネットカフェでも、民族衣装を着た若い女性がWEBカメラを使って、おそらく祖国の家族とだと思うが、テレビ電話状態で話をしている。インターネットカフェ内に、”Hello! Hello!”と、可愛いらしい声が響いていて、このHelloが何度も何度も聞こえるものだから、私も含めて微笑んでいる客がいる。メールチェックをしている私のような旅行者もいるだろう。ゲームに打ち興じている地元の男の子や若い男性もいる。
 中国人の不法滞在者のようなことはニュースになるけれど、なんだか日本は外国人に対してウェルカムでない感じがしてならない。先日のニュースで、もっとヨーロッパから観光客を呼びたいと歓迎キャンペーンを始めていたが、アジアの隣人を大事にしないで、なんか勘違いしてはいないか。日本でも外国人の多い新宿や池袋でのインターネットカフェ環境は知らないが、もし外国人が多い場所でも貧困で不自由なインターネット環境ならば、これは閉鎖社会と言われても仕方ないだろう。そうしたインターネット環境がなければ、私のようなメール依存症の旅行者は途方に暮れてしまうに違いない。この点、シンガポールの方が頭がいい。成田空港とシンガポールチャンギ空港のインターネット環境の差は、まるでお話にならないほどだ。
 そういえば、インターネットカフェの運営資金はどこが出しているのかわからないけれど、インターネットカフェの店員も圧倒的に中国人や韓国人が多く、日本人の店員はハミルトンではほとんど見かけない。