時のたつのは早いもので、今週が終われば大学も小休止。2学期の中間休みとして二週間ほどの休みになる。
冬休みということになるのだろうか。テレビでも、オークランドのホテルなどが休みになるから泊まってほしいと宣伝を始めているから、学校全体が休みになるのかもしれない。
この休みの前に、各教科はちょっとした評価をしようとするので、応用言語学もすでに出されている課題2の上に、課題3、課題4までもが示された。課題3と課題4は中間休み後の課題なのだけれど、「ついでに前もって」だって。これじゃ、休み中にも勉強をしないと間に合わないじゃないの。
ジョージの言語学だが、基本的なことを全体的にやってくれるので、とても面白いし、実際ためになる。触れられている内容は、あれやこれや日本語の本を読んで私もすでに知っていることや、実際に英語教師として体験して知っていることが少なくないが、それを全体的にわかりやすい講義にしたててあるので、概論として秀逸だ。
たとえば、昨日の講義だと、言語のタイプの比較の話がひとつのテーマになっていて、例えば、語順の問題にも触れる。イギリス語とフランス語とは語順が似ているけれど、日本語とイギリス語は似ていないというわけだ。日本語の助詞「は」の扱いについては、正しく、「主題」が提示できると説明していた。
また例えば、形容詞と名詞の修飾関係の問題にも触れる。
形容詞と名詞の関係では、イギリス語が基本的に「形容詞+名詞」の順であると分析できるのに、フランス語の場合は、基本的に「名詞+形容詞」の順番になるというのだ。
ジョージの講義では、人数がそれほど多くないこともあって、講義中にバンバン質問が受講生からされる。私もこの例にならって、拙いイギリス語で質問をしているのだが、この名詞と形容詞の関係についてのジョージの説明に関しては、「イギリス語を『形容詞+名詞』型と類別することに私は異論があって、『関係代名詞の形容詞節』や、『分詞の後置修飾』や、『with+目的語+状況説明』を、どう説明するのか」と講義中に質問をした。当然のことながら、ジョージは、日本語は「形容詞+名詞」型と説明していたけれど、まさに日本語こそが、谷川俊太郎氏の「これはのみのピコ」の絵本の例を出すまでもなく*1、「形容詞+名詞」型を徹底している言語のタイプであると思う。
前の授業でも、私は、「副詞句」と「(時や場所をあらわす)前置詞句」とを区分けすることの意義がわからず、日本人の学習者にとっては、どちらも動詞を修飾しているのだから、「副詞句」とくくった方がわかりやすいのではないかというような質問をジョージにした。ジョージは、学習者にとってその方がわかりやすければそれでいいと答えるだけだった。
この応用言語学の講義全体は、概論としてとても面白いのだが、ときにステレオタイプ的な説明になるときがある。イギリス語との比較で、ラテン語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、中国語、朝鮮語、日本語、タガログ語、タイ語など、私が覚えているだけでもたくさんの言語の例が登場してくるのだが、日本語を具体例に出しての説明の際には、それでいいのかなと私自身疑問に思う時も少なくない。母語の日本語であっても、複雑な言語例は簡単に分析できないものだ。
考えてみると、われわれは、日本語とイギリス語という身近な比較すら、真面目にやっていないのではないかと思う。
専門的・学問的な論文はいざしらず、私の場合、日本語とイギリス語の比較という点でこれまでに参考になった本では、日本語の作文技術に主眼を置いている本なのでイギリス語との比較を中心に書かれているわけではないけれど、本多勝一氏の「日本語の作文技術 (朝日文庫)」くらいであった。おそらくは私が知らないだけなのだろうが、主語廃止論で有名な三上章氏が卓越した研究者であるにしても、一般の眼には触れにくい。
最近、カナダ在住の、ある日本語教師によるもので、日本語には主語はいらないというような題名の本を読んだが、これなども数少ない例といえるだろう。私の言いたいことは、日本語とイギリス語を比較した本はそれなりにあるのだけれど、体系的に包括的に比較した本は案外少ないのではないかということだ。
応用言語学の講義の中ではごく普通の分析をしているだけの話なのだが、こうした全体的な分析自身が新鮮だ。イギリス語と日本語とは、語順も違うし、「前置詞」(preposition)ではなしに、「後置詞」(postposition)を使うなど、具体的な事実を積み上げて説明していく。「後置詞」という用語も私は初めて聞いたが、なるほどと思う。
田中克彦氏の著作などを通じてモンゴル語と日本語がかなり似ているということを知識として私は聞いていたが、日本語はトルコ語とも似ていると、講義の中で指摘されたことを興味深く聞いた。もちろん日本語は朝鮮語とも膠着語という点で似ているけれど、英語、英語と騒ぐ前に、もっといろいろなタイプの言語があるということを強調した方がいい。そしてどの言語もその母語話者にとっては、重要かつ論理的なのであるから、自分の尺度で独善的に考えて、変てこな言語などとバカにしない方がいい。
前から少しは聞いていたのだが、イギリス語やフランス語のような「主語+述語+目的語」型の言語もたしかに多いけれど、それよりも「主語+目的語+述語」型の方が世界にはむしろ多いとジョージは説明していた。これなどは圧倒的に英語一辺倒の思想状況の中で、胸がすっとする話ではないだろうか。これは何もジョージの試論ではなく、「言語類型学」など、出版されている本に書いてあることなのだ*2。そして、当たり前のことだが、こうした本をジョージはよく読んでいる。
こうした本に眼を通してアカデミックな研究をやるような時間が、私にもあればいいとは思うけれど、高校教師としてはちょっと無理だ。そのための海外留学ではないのかと言われるかもしれないけれど、何か研究するということになれば、まず二年間くらいは必要だと思う。だけれども、レクチャーとしては、この「外国語教育のための言語学」は、基礎的かつ全体的であるから、日本の英語教師が一度くらいはくぐるべき概論であるように思う。
ジョージはイギリス人であり、いわば宗主国のお国柄であるけれども、語順のタイプの類型を考えるならば、英語が主流言語ではないと認めるだけの、そうしたバランス感覚がある。日本の方が、知らない分だけ、植民地的イデオロギーが支配的になってしまうのかもしれない。それがまた、無自覚なものだから、一層始末が悪い。
ワイカト大学(The University of Waikato)の図書館に行って、ELT関係の図書をみると、ELT Journalなどもそろっているし、日本の私立大学の英語教育関係の紀要まであった。イギリス語を教えるということ自体、イギリス語を母語とする連中の世界的な生業だから、ELT Journalをぱらぱらと見ていると、わたしが自分の経験から発見して大事だなと思っている「帰納法的アプローチ」「演繹的アプローチ」などについても、いろいろな外国語教師が論文を書いている。ジョージが課題論文としたロン=シーン(Ron Sheen)の”Focus on form” and “focus on forms”も、ELT Journalの56号(2002年版)に掲載されていた。いわば種本であるが、イギリス語をいかに教えるか、イギリス語を教えることにどのような問題点があるのか、膨大な量のものがイギリス語で書かれていることだろう。だから、日本の英語教師も、可能な限りこうしたものをもっと読んで、もっと彼らと論議する必要があるだろう。英語の母語話者の研究者でもステレオタイプ的思考で決めつけていることも少なくない。いわばそうした研究者たちと、日本の研究者たちも、互いに学ぶべきものがあるように思う。
繰り返しになるけれど、私も時間があったら、そうしてみたいが、今はマオリ語に手を出してしまっているので、集中力が分散してしまっているし、二年間くらいかけないとアカデミックな仕事はできないだろうと思う。
さて、応用言語学で与えられた課題2について私は、「可算名詞・不可算名詞」について書くことにしたから、2週間ほどの休みの前半は課題に集中して、課題が終わったら、そのご褒美に、後半はスキー旅行にでも出かけるとするか。