日本の原発は大丈夫なのか

 ところで、新潟県といえば、心配なのが、原発である。
 インターネットで少し調べてみた。

 地震発生前のこれは20日のことらしいが、「東京電力は、調整運転中の柏崎刈羽原発6号機で20日、原子炉の中性子分布測定装置を原子炉格納容器に出し入れするための配管の弁に不具合が生じ、国の保安規定が定める『運転上の制限』を一時逸脱する状態になったことを明らかにした」という。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041023-00000012-mailo-l15
 地震が起きても、柏崎原発は、通常運転のようだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041023-00000089-mai-soci
 さらに、23日の毎日新聞によれば、「東京電力福島第1原発の施設に使われたコンクリート用骨材(砂利、砂)でも、試験データに改ざんがあった」という背筋が寒くなるようなニュースが流れている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041023-00000021-mailo-l07

 大体、世界の流れは「脱原発」なのに、日本には、現在、51基もの原発があり、今後「20基増設」するという。これが今日の日本のエネルギー対策の現実だ。
 つい先日、沖縄電力が、4年前から原子力発電の導入を研究していると発表したらしいが、これもこうした時代に逆行する流れの中の一つなのだろう。
 沖縄は素晴らしいところなのに、すでに軍事基地があり、さらに原発がつくられれば、その魅力は激減し、その分、人々が寄りつかなくなっても構わないのだろうか。
http://www.ryukyushimpo.co.jp/shasetu/sha29/s041017.html#shasetu_2

 私はエネルギー政策関係や原発など、ろくに勉強をしたこともない素人だけれど、そもそも、放射能廃棄物の管理なんか、未来永劫まで、環境に影響を与えないかたちで、一体全体できるのだろうかという根本的な疑問がある。巷の議論は、そのためのリスクやコストも考えた上での議論とは到底思えない。
 放射能が一旦漏れたら、仮に運転を止めたにしても、人体への重大な健康被害、いや人体ばかりでない、深刻な環境破壊は避けられない。まさに、これは、万物絶滅(オムニサイド、Omnicide)への道である。
 チェルノブイリ原発事故の被害者を援助するために単身赴任した日本人医師を信州から出した日本。まさに彼は、私費を投じたボランティアだった。こうした素晴らしい日本人がいる一方で、政治の指導者たちは、チェルノブイリ原発の大惨事の教訓をいつになったら学べるのだろうか。
 かなり前に、今わたしが世話になっているホストファミリーの長女のマーガレットが、このニュージーランドでも、「風力エネルギーの、あの風車が醜くて、景観破壊だ」として、「風力エネルギーに依存しようとする政策を批判する人たちがいるのよ」と言っていたが、私は「20数年前にカリフォルニアでずらりと並んでいる奴を見たけど、環境に優しいエネルギー政策ということを考えながら眺めると、実に美しい景観だと、私なんか思うのだけれど」と言ったら、マーガレットは笑っていた。
 実際、環境に優しいエネルギー政策を、こともあろうに醜いだなんて、頭がどうかしているんじゃないか。原子力二酸化炭素を出さないというような議論も同根だ。
 個人が勝手に万物絶滅(オムニサイド、Omnicide)の道を進むのは構わないけれど、俺たち他人まで巻き込むのはやめてほしい。
 繰り返しになるけれど、世界の流れは確実に、脱「原発」だ。
 ドイツは向こう30年で原発は全廃する方向だし、ニュージーランドなんかは全く原子力に依存していない。あのフランスでさえ、原発に否定的になってきている。
 このままでは、先進国といわれる中ですら、エネルギー対策で日本は孤立するだろう。
 日本社会の悲しく最悪なところは、こうした論点がメディアでも大々的にきちんと報道されず、市民が議論できるように情報公開が十二分にされていない点にある。政治家が問題提起をして、論点を知らせる責任があるのに、だ。
 まさにこれを政治の貧困と言わずして何と言おう。
 もちろん、増え続ける電力需要に対して、電力供給をどうするのかという切り返しの議論があるはずだ。ニュージーランドでも、生活の便利さと引き換えに、いろいろと電気を使うようになってきてはいる。
 ただし、一例をあげるなら、いま私が住んでいるニュージーランドの家の風呂のスパも冬の暖房も天然ガスを長大なパイプラインで引っ張ってきている。
 それから、前にも紹介したように、私が自室の電気をつけっぱなしで少し部屋を開けていたら、アレックスに「部屋にいない時は電気を消すようにね」と注意された。そもそも彼らは、夜は、日本人からしたら真っ暗な中で生活している。前にも書いたように、キーウィは寝るのも早い。ニュージーランド人が、9時、10時に寝るのは普通のことだ。
 日本じゃ、電力節約の注意をテレビなどで呼びかけるどころか、原発が電力供給の中心を担ってますとの御用テレビ広告とともに、夜中でも煌々と電気をつけて、必要もないのに、あちこち明かりをつけっ放しで生活していることだろう。
 南半球にあるニュージーランドの夜は、空から見ても、国土の輪郭すら判然としないだろうけれど、北半球にある日本は、真っ暗な夜でもイルミネーションによって、夜空から日本列島のかたちが見えることだろう。
 日本じゃ、政治家が、国民に対して、電力節約の注意を大々的に呼びかけたりすらしない。やったにしても自分たちがパンクしないようにと、夏のクーラーの使用を控えようという電力会社のキャンペーンくらいだ。
 この点ひとつとってみても、政治の指導者たちが、真面目にエネルギー問題を考えているとは到底俺には思えない。