オークランド・ロトルア・ワイトモ洞窟の三角ツアー

ハッチェリーの養殖マス

 久しぶりにロトルアを訪問するので、ロトルアでまだ見てないところもついでに見ることにしようと思い、フライフィッシングの後も延泊するかもしれないとアレックスとジュディに言って出かけた。
 釣果がなければ、キャンプもできるように、テントなどのアウトドアギアも車に積み込んだ。
 統計的にしっかりと調べたわけではないけれど、キーウィーと話をすると、日本人の旅行客の多くは四日間、長くて五日間の滞在が多いのではないかという。
 それで、大概はオークランドとロトルアとワイトモ洞窟の三つ、その三角形を回るというのが、キーウィーが持っている日本人ツアーのイメージだ。もちろん、他のオプションもいろいろとあるのだろうけれど、このパターンが主流ではないかという*1
 私も含めて日本人は忙しく働いているから、他人ごとのように非難するつもりはさらさらないけれど、これでは少し悲しすぎはしないか。大体、それじゃ、ニュージーランドのよさがわからないだろう。
 そもそも、ジュディじゃないけれど、たった五日間のために、高い航空券を買う神経がキーウィーには全く理解されないと思う。あまりにもバランス感覚が悪すぎるのだ。こうしたカミカゼツアーじゃ、バスの中でうたた寝をしたり、バスの車窓を見て終わるのが関の山だろうと思うのが彼らの実感だ*2
 ほとんど休みらしい休みを持たずに働いてきた奴が言うのだから説得力がないのだけれど、日本人はもっと休みを取るべきだというのが長年の私の持論になっている。
 もっと休みを取って、キーウィーの「自分のことは自分でする」(Do it yourself)精神を少しでも学び、自分のことは自分でやり、その経過も含めて楽しむべきだ。
 そして父親こそが*3もっと遊んで、父権を奪還すべきだというのが長年の私の持論だ。
 そんなこといったって無理だよという声が聞えてきそうだが、世界で普通にやっていることだ。日本だけがどうして例外的に奴隷のように働かないといけないのか。
 それでは、あまりに悲しすぎやしないか。
 ニュージーランド人は怠け者だという説がある。
 これが本当かどうか知らないけれど、社会と家庭のどちらを取るか、社会と個人のどちらを取るかという問題があって、結局バランスの話なのだけれど、今の日本人はあまりに奴隷状態ではないかというのが私の印象なのである。
 世界には「休みを満喫するために仕方なく働く」人もいれば、「働きながらも、休みを楽しむ」人もいる。今の日本人のように「働くだけ働いて、休みがない」というのは、例外中の例外だ*4
 大体昔の日本人の方がよく遊んでいたのではなかろうか。
 潮干狩りに行ったり、釣りをしたり、父親が遊びを教えてやり、お金だってかからない遊びが多かった。いつから日本人は遊ばなくなったのだろうか。
 今のわれわれの生活はより商業化され、消費的な生活を維持するためにだけ賃金を稼ぎ、賃金をかせぐためにだけ奴隷的に働かされている感じがするのは果たして私だけだろうか。商業主義的消費生活を少し控えめにして、家庭を大事にしたり、個人を大事にして、金のあまりかからない自然の遊びを重んじたとしても、非難されることはあるまい。
 ということで、今回はロトルアにフライフィッシングに出かけることにしたのだが、これにはオークランドとロトルアとワイトモ洞窟の悲しき三角形をどうにか脱したいという願望も少しは手伝っている。
 大げさにいえば、あまりにも悲惨な我々日本人の余暇生活を、少しでも、より人間的なものに奪還すべき私なりの試みでもあるのである*5

*1:ハミルトンからロトルアに行く途中にティラウ(Tirau)という町があって、ここに寄るのは二度目だが、今回ここのみやげ物屋で話した際にも日本人のツアーは、四、五日で、オークランド、ロトルア、ワイトモの三角形をまわると、同様のことを女性店主が述べていた。

*2:それでもなんでも、ニュージーランドに団体旅行で来れる人は、日本では恵まれた人たちである。多くの日本人は、そうした悲しい短期の団体旅行すらできない人たちが圧倒的だ。

*3:母親を排除する意図はない。母親も父親も、もっと休んで、父親はもっと父親らしく、母親はもっと母親らしくという意味で書いている。

*4:このことはロサンゼルス滞在中に、知人のニコラスも言っていたことで、アメリカ人は、断然個人優先がルールになっている。ニコラスに言わせれば、ヨーロッパですら、社会優先だという。これからすると、日本の滅私奉公は、おそらく個人か社会かの問題以前のような気がして、気が進まないけれど、奴隷的というコトバをつい使いたくなってしまう。この点からしても、日本はアメリカ合州国のことを、まるで理解できていないと思う。

*5:日本人でも、最近は、長期で安上がりの滞在を目標にロングステイをして、そうした経験交流をしているグループもあるようだ。これは安価の旅をめざしているわけではないけれど、芸能界における好例は、あの大橋巨泉氏の例だろう。