孤高の山であるタラナキ山

 タラナキ(Taranaki)は、もちろんマオリ語からの命名であるが、エグモント山は、あのクックが彼の探検を励ました人物から1770年に命名したものだと言われている。タラナキ地域では、タラナキもエグモントもどちらもよく使われ、タラナキ山もエグモント山も、両方とも正式な名称になっている。
 マオリの伝説によると、タラナキ山は、そもそもはトンガリロの仲間だったのだが、トンガリロの恋人でタウポ湖(Lake Taupo)近くにあるピハンガ(Pihanga)と一緒にいたタラナキを、トンガリロに見られて、この裏切りを怒ったトンガリロがタラナキの上の部分を吹き飛ばしたと言われている。怒りや痛み、そして恥という心痛をともなって、タラナキは南に逃げた。このときの傷が、今の偉大なワンガヌイ川である。さらにタラナキは西に移動し、現在の場所に落ち着き、以来タラナキは孤高を守り、涙の雲に顔を隠しているというわけだ。
 私はこのタラナキ山のマオリの伝説も、タラナキ山自身も大いに気に入った。
 もちろんマオリにとってのタラナキは聖なる場所で、有名なチーフの墓や隠れ家として大事な場所であった。
 タラナキ地域は、なにしろこのタラナキ山が支配している。タラナキ地域は、降雨量も多く、タラナキ山から四方八方に渓流が流れている。
 タラナキ在住のマオリに聞いた話では、タラナキの国立公園に指定されている地域の渓流はもちろん問題ないが、麓に流れてくる川は、飲み水としては当然気をつけるようにしないといけないけれど、例えばオプナキからオカトの町に入る手前を流れるハンガ=アー=ターフア(Hanga ā Tāhua)という川の水は、環境的に守られ、全く問題なく飲める水だという。
 標高2518メートルのタラナキ山の登山は、人気があるが、気候が変わりやすく、甘くみてはいけない登山になる。
 このタラナキ山をぐるっと半分ほど周回する感じで、ニュープリマスまで車を走らせた。
 プケ・アリキ(Puke Ariki)と呼ばれる博物館で、タラナキ戦争について学んだ。