マオリ語を第二言語として学んだマオリ語の教師と、英語を第二言語として学んだ私

 アロマハナも釣りがうまいとジェフが言っていたが、このアロマハナにとって、マオリ語は、第二言語だという。
 授業参観をさせてもらったが、教室には靴を脱いで入る。普通の教室なのに、まるでマオリのマラエか、日本の道場の雰囲気だ。マオリの生徒が6人くらいだから、ひとつのテーブルで作業をさせて、アロマハナは私と話をするようなのんびりムードだ。
 アロマハナは、授業中は英語が主で、マオリ語をまじえて授業をやっていた。
 彼のマオリ語は、私の英語のように、あとで学んだものだが、流暢で、彼の誠実でまじめな人柄がよく出ていた。
 英語が第一言語母語であるのに、マオリ語を後天的に学んだマオリ語の教師。日本語を母語であり、後天的に英語を学んだ私。状況は全く違うのだが、なんだか共通点があるような気がしてならない*1
 授業中にもかかわらず、生徒に作業をさせているアロマハナが、私の方に近寄ってきて、私にどんな教え方をしているのか、語彙はどうやって指導しているのか、授業では日本語を使って指導しているのか、いろいろな質問をしてくる。
 日本は、50名も生徒がいる。このような少人数のクラスは選択授業くらいしかできないから、どうしても講義調にならざるをえない。また、私は英語を多少は話せるが、日本語抜きでやったら、生徒に対するパフォーマンスにはなるけれど、生徒はわからないので、最初は新鮮にうつるかもしれないけれど、そのうち生徒は嫌になってしまう。それに、英語もマオリ語も、生活に近いニュージーランドと違って、外国語というものは、日本ではかなり遠い存在だ。だから、試験で脅して丸暗記をさせるのが簡単なやり方なのだが、私はそうしたアプローチだけはしたくない。だから、どうしても文化的なアプローチになる。語彙指導なら、たとえば、朝食のbreakfastを試験に出すからただ覚えろというのではなしに、「断食を破る」*2というような話をして、印象づけるようにしていると、私はアロマハナに説明した。
 英語教師であるにもかかわらず、どう教えたら効果的かというような細かな話には実は興味がない。なぜ英語を学ぶのか、試験以外の動機づけをはっきりさせないと、細かな指導方法論を議論してもあまり意味がないし、動機づけや学習する位置づけがしっかりすれば、生徒は自分で自主的に学べるものだというような私の考え方を話した。
 アロマハナの話だと、彼も、英語でかなり説明して、マオリ語を教えているという。
 アロマハナも、マオリ語を何故やるのか、その動機づけがむずかしいという話をしたから、立場は違うのだが、なんだかたくさんの共通点を発見したような気に私はなった。
 外国語にしても、母語の奪還にしても、後天的なコトバの勉強なんて、面倒くさいことこの上ない。やはり後天的なコトバの学習は、動機づけが重要だ。
 英語をすでに獲得しているマオリの子供が、どうして話者の少ないマオリの言葉を学ばないといけないのか、アロマハナはいつでも、子供に説明できる準備をしていることだろう。
 日本の英語教師の場合は、英語が大言語であるから、説明抜きにサボることもできるが、これをサボってはいけない。日本の英語教師は、英語を学習する理由を、どのように説明したらよいのだろうか。

*1:English as a second language (ESL)とEnglish as a foreign language (EFL)の言い方でいえば、彼のマオリ語は、MSL(Maori as a second language)で、わたしの英語は、EFLと言えるのかもしれない。

*2:fastは断食で、それを破る(break)するから朝食という意味になる。