以上のような歴史的経緯から、今日、ニュージーランドに住むマオリにとって、英語を話すことは当たり前のことに過ぎない。今日例外なくマオリは英語を話すといっていい。それは、マオリが生きるために、まさに好むと好まざるとにかかわらず、身につけてこざるをえなかった過程なのである。
けれどもと言うべきなのか、だからと言うべきなのか、その一方、マオリであってもマオリ語を話せないマオリはたくさんいる。ワイカト大学(The University of Waikato)の初級マオリ語の私のクラスメートは、一見白人のようにみえてもマオリの血を受けつぐ青年も含めて、圧倒的にマオリの若者が多かった。マオリ語を流暢に話す学生も多かったが、その一方で、血縁的・文化的にマオリ文化との接触はありながらも、言語的には、あたかも日本人が英語を学ぶように、大学でマオリ語を学んでいた者も少なくなかった。これは伝統的なマオリの共同体が破壊され、都市化した結果に他ならない。流暢にマオリ語を話すマオリはマオリの中でも5%くらいではないかと、私の知人の一人のマオリが言っていたくらいなのだ。
祖父母の世代はマオリ語を流暢に話していたのに、父母の世代はマオリ語よりもイギリス語が主流という世代に、いわばねじれてしまった。つまり、生活のために祖父母の世代は、自らの母語の将来に悲観して、母語であるマオリ語よりむしろ英語を自らの子どもたちに奨励したのである。だから今日の子どもたちの親の世代は、マオリ語を奪われた世代といってよい。
祖父母の世代はマオリ語が主言語であったにもかかわらず、親の世代は、圧倒的にイギリス語が主言語にねじれてしまい、そうして奪われた自らのコトバを、自分の子どもたちにはコハンガレオ(コトバの巣)と呼ばれる幼稚園の中で奪い返そうとしている世代なのである。
繰り返して強調することになるが、マオリ語を取り巻くこうした悲しむべき実情の原因は、イギリスによるキリスト教化と英語化の歴史によるものに他ならない。