大切な情報が少ない日本

 昔、梅棹忠夫氏が、日本ブラックホール説を唱えられたことがある。
 日本は情報鎖国で輸入超過、何もかも飲み込むが、自らは情報を発信しないというような、いわば例えであった。
 イメージとしてわかりやすいが、情報輸入超過のわりには、大事な情報が入ってこないということは指摘しておかないといけない。前にも書いたように、アメリカ合州国べったりな割には、大事な情報は案外入ってこない。とくに、市民生活を向上させるための基本的人権にかかわるニュースなどが日本ではほとんど入ってこない。
 私は考えるのだが、時間奴隷論を私が唱えるほどひどい状態なのに、何故日本人は我慢しているのだろうか。満員電車だって、25年間私は乗り続けているが、いっこうに改善されない。日本人はもっと頭がよいはずではなかったのか。
 私が思うに、その理由のひとつは、大切な情報交換ができていないからだと思う。
 英語圏の連中は、多種多様な英語があるにせよ、ひとまず英語で情報交換できるから、英語圏の連中は、ああイギリスではそうなっているの、ああニュージーランドではそうなの、ああカナダじゃそうなの、オーストラリアではそうだったのと、日々日常、情報交換している。
 日本は、アジアにも友人がもてず、さらには、英語圏にも入っていけない。
 地理的に海に囲まれているからといって、文化的にも孤立する必要は全くないのだが、日本は、言語的にも隔絶しているし、情報的にも孤立しているかのようにみえる。
 だから、自らの惨めさにさえ、気がつかないのだろう。
 くわえて、勇気あるジャーナリズムが衰退し、現政権にゴマをするマスコミ産業が跋扈しているから、ますます大切な情報から国民は遠ざけられる始末だ。