北京語と英語にはさまれて、楽観視できない台湾語の将来

amamu2006-02-02

 朝日新聞夕刊の「膨らむ中国語」と題するシリーズがあるのだけれど、昨日は「台湾風」について書かれていた。
 歴史的にみると、言うまでもなく、日本統治下の台湾では日本語が強要されていたが、1945年に日本軍が去ると、中国大陸から来た国民党による統治が始まり、「学校や職場で「国語」とされる公用語の北京語が強制された」のである。
 庶民の母語台湾語であっても、こうして、公の場での台湾語は、80年代後半まで台湾では禁止されていた。
 この記事で紹介されていた台湾語ロックの教祖と呼ばれる37歳の伍佰(ウーバイ)の台湾語による歌も、90年代からの民主化台湾ナショナリズムから可能となったわけで、伍佰の台湾語による歌を聞いている聴衆は10代から20代で、こうした80年代に生を受けたファンの多くは、台湾語を聞き取れても、台湾語はうまく話せないようだ。それはまるで「東日本出身者が関西弁をしゃべるような、ぎこちなさがある」という。
 こうして、民主化・自由化の波の中で、台湾語が脚光を浴びてきているのだが、その一方で、台湾語の将来には楽観できない面もある。
 いま台湾語による学校での授業は週に1時間。コトバの政治力学からすれば、台湾語よりも、北京語に習熟した方がよいとの判断が親にあるのだろう。さらに、英語学習がこれに拍車をかける。「全球化(グローバル化)に対応するため、既に小学校での英語学習が始まっている」。「50年先、台湾語を話す人はいなくなっているかもしれない」と、台湾語の未来を悲観的にみる意見が記事で紹介されていた。
 こうして、台湾語の将来は、北京語と英語に挟まれて楽観できない状況にあるけれど、母語を重視するという世界的な流れも無視はできまい。台湾人にとって大事なコトバは、何を置いても、母語である台湾語であることに間違いはないからだ。