「平和と改憲」について、「本当にこれでいいのですか」

amamu2007-05-21

 「ガラスのうさぎ」を書かれた児童文学作家の高木敏子さんが、今朝の朝日新聞に、「平和と改憲 本当にこれでいいのですか」という一文を寄せられている。
 その一文の冒頭で、石原慎太郎氏の脚本・製作による太平洋戦争の特攻隊員を描いた映画「俺は、君のためにこそ死にに行く」に触れられて、「石原さん、戦争の悲惨さを伝えたいのでしたら、この映画にかけるお気持ちが本当なら、あなたが初当選した後に凍結した「東京都平和祈念館」(仮称)の建設を、いまこそ始めてもらえませんか」と、素晴らしい提案をされている。
 実は、私はこのことを全く知らなかったけれど、「戦争の惨禍を記録し、戦争とは何なのか、なぜ戦争が起きたのかを学ぶ場を東京に作りたい」ということで、青島幸男知事の時にゴーサインが出たけれども、「石原知事1年目の1999年に凍結」されてしまったという経緯があるとのことだ。
 高木さんは「ガラスのうさぎ」を出版したのち、全国各地から呼ばれて講演をすることが多くなったそうだが、もっと戦争と平和を学びたい、東京大空襲や戦争がどうして起こったのか学ぶ場が東京にあるのかと問いかけられたという。
 「東京には軍人や軍属の人たちをまつる施設はあっても、戦争で亡くなった一般の人たちを記録し、戦争を考える都の施設はありません」と書かれているが、確かにその通りである。
 高木敏子さんも、「かつては軍国少女」で、「42年、日本軍がシンガポールを占領したとき、無邪気によろこんで」いたそうだが、戦争を考える施設は重要であると私も思う。
 これまで私が訪れたシンガポールにも、韓国にも、ニュージーランドにも、そうしたさまざまな施設があったからだ。「東京でオリンピックを開くお金があるのなら、施設は出来るはず。どうか今のうちに建てて欲しい」と高木さんは書かれている。
 高木さんは、「ガラスのうさぎ」の中で憲法九条の条文を書かれているが、「児童書にはめずらしい」と言われたそうである。けれども、「「戦争の放棄」をうたう条文は、戦争で父と母と妹2人を亡くした私にとって、太陽のようにまぶしいものでした。戦争をしなければ、よその国の人も自分の国の人も死なさずにすむ。こんなにすばらしいことはありません。戦後生まれの人にぜひ知ってもらいたい。でも、その9条がいま危ないのです」と高木さんは、警鐘を打ち鳴らしている。高木さんのこの辛い体験と、彼女のこの意見を否定することはできないだろう。
 高木さんは、最後にこう書かれている。
 『私はいま病気をいくつか抱えていて、講演したくても出来ません。(中略)でも、出来るのなら、東京の真ん中で訴えたい。「みなさん、本当にこれでいいんですか。歴史をきちんと学ばないまま9条を変えていいのですか」と。』
 高木さんには、19歳のお孫さんがおられるそうだが、入試に出ないから「この間の戦争について、何も習っていないよ」とのことだ。
 大変残念ながら、いまの日本では、よほど意識して、それこそ個人が決意して学ばない限り、平和のための戦争論を学ぶことはできない。高木さんも書いておられるが、「14日に国民投票法が国会を通り」、「いま国民投票をしたら、憲法改正は通ってしまいますよ」と断言されている。それは、東京都に「戦争の惨禍を記録し、戦争とは何なのか、なぜ戦争が起きたのかを学ぶ場」が東京にないことに象徴されるように、教育の現場でも、平和の問題に対して、日の丸・君が代が押しつけられ、それに呼応するかのように、物言えば唇寒しの状況がすでに広がっており、その反教育的な結末として、平和についての無関心が広がっているからである。私たちをとりまく環境自体が、反教育的、反平和的なのであるから、「よほど意識して、それこそ個人が決意して学ばない限り」、平和の大切さを学ぶことはできないのである。
 いま、国民投票法によって、さらには教育三法によって、教育の自由、言論の自由が奪われている。その流れは早い。
 高木敏子さんと同じように、「本当にこれでいいのですか」と私も問いかけねばなるまい。
 本当に、これでいいのですか。