映画「ふみ子の海」を観た

ふみ子の海

「ふみ子の海」は、眼の見えないふみ子が、けなげに生きていく、新潟を舞台にした物語である。
子役の鈴木理子が素晴らしい。
「ふみ子の海」は、実に映像の美しいきれいな映画で、私は、アオテアロアニュージーランドのタラナキの海を思い出した。
また近頃、これだけ歴史性を感じさせる映画もない。
 豪雪地帯として知られる高田市、「米山さんから雲が出た、いまに」の三階節*1で有名な柏崎市など、新潟県の歴史的な建築遺産をフルに使ったロケーションは見事である。
この映画の主人公は粟津キヨさんという実在の人物のモデルがいて、実際には、高田盲学校に通い、恩師の学校・東京女子大を出て、高田盲学校で教師をつとめることになるのだが、映画の中では、ふみ子が通いたくても通えなかった高田盲学校というかたちで登場する。高田盲学校は、1887年につくられた日本で3番目に古い盲学校だという。映画のパンフレットによれば、2006年に118年の歴史を誇る高田盲学校が、その歴史を閉じ、最後の卒業式には、鈴木理子さんや高橋恵子さんもかけつけたというエピソードが語られていた。
ふみ子がこれだけ通いたかった学校が私たちに語りかけてれる意味は重たい。
 学校とは何か。学ぶとは何か。子どもたちが学びたい、また学ばなければいけない内容こそを、学校は伝えなければならないということを、この映画は教えてくれるからだ。
映画の中で実際にその姿を見せることはないが、ヘレン・ケラーが勇気を与えてくれる人物として人々の話題にのぼる。ヘレン・ケラーが世界中を講演した回った話は私も聞いたことがある。日本人も含めて世界の人たちを勇気づけたに違いない。

さて、「ふみ子の海」には、ふみ子を取り巻く優しい人々が登場する。
サダちゃん(尾崎千瑛)や、〆香さん(遠野凪子)、そして麩屋(山田吾一)。
 映画の世界にのめり込んでしまったせいか、赤い西堀橋で、〆香さんと別れる場面や、危篤状態の母親をたずねに自動車で病院に向かう際にごぜ様の子どもとすれ違う場面で、ああ、ふみ子ちゃんは眼が見えない少女だったのだと思い出したりする。
「ふみ子の海」は、実に日本映画らしい映画だ。
歴史の匂いをたっぷりと感じることのできる「ふみ子の海」は、世界に誇れる日本映画の仕上がりになっている。
 「ふみ子の海」は、真にローカルなものこそが本当の意味でインターナショナルになりうる好例のひとつである。
 

*1:映画の中で子役が三階節を歌う場面があるが、新潟弁は、末尾が「〜だこて」が多用されたり、「いまに」の「い」が「えまに」のように、「い」と「え」の中間の発音のような印象が私にはあるけれど、映画の中では、それほど強調されてはいなかった。